Miscellany

手塚治虫記念館
(04.12.31)
 “宝塚”といえば、宝塚歌劇団が有名だが、手塚治虫の出身地としても知られている。
 手塚治虫は、その作品のおもしろさ、テーマの大きさと深さからして、他の漫画家とは一線を画する特別な存在といってもいいのではないだろうか。
 阪大医学部卒の手塚治虫が描いたブラックジャックは、手術のシーンに素人っぽさがないし、ブラックジャックやピノコの設定もおもしろい。また火の鳥は、“生命”という壮大なテーマのために、小学生の時読んでも理解できなかったが、高校生になって読み直して以来、僕が一番好きな作品となった。他にも手塚作品には“どろろ”や“ブッダ”など、数々の名作がある。

 さて、そんな手塚治虫の記念館が宝塚大劇場の隣にあり、先日そこを訪れた。

記念館には、手塚治虫の幼少期に描いた漫画や写生をはじめ、生涯を通じて描かれた色々な作品の展示がされている。
 一番驚いたのは、手塚治虫が小学校の時に描いたという標本の写生(あくまで写生であって、標本そのものではない!!)で、その緻密さに非凡なものを感じた。昆虫の名前を記したメモ帳や、医学部時代のノートも非常に細かく、圧巻だった。

 館内には、手塚漫画の(おそらく)全てが置かれていて、自由に読むことができる。漫画を読むつもりで行けば、それこそ一日中時間を潰せるだろう。

      蝶々と昆虫の標本の写生              手塚漫画のコレクション

 日本が誇る手塚治虫の世界に触れることができるので、一度は行ってみるとおもしろいと思う。

大学という場所
(04.12.4)
 宇多田オトコのような人物はまれとしても、大学というのは、やっぱり少し特殊な空間なんじゃないかと思う。
 この前、工学部食堂で隣の金髪ピアスの兄ちゃん二人が「えー、それは違うで」「いや、そんなことないって。だって1H-NMRとったら、J値がさあ…」なんて会話をしていた。工学部食堂では、日常的にそんな会話があちらこちらから聞こえてくるから、別に違和感は感じない。でもこんな会話を街中のレストランでしてたら(しかも見かけた金髪ピアスの二人がしてたらなおさら)、周りの人は吃驚するだろうなあと思っておかしくなってしまった。

 普段は僕もこの空間の一員としてどっぷり浸かっているから、この雰囲気が普通だし、取り立てて何とも思わない。ところがたまに外部の空気に触れると、自分のいる空間の特殊さに気付かされて、刺激を受ける。しばらくすると、いつの間にかそれも忘れて吹田の空間に溶け込み、再び外部の空気に触れると刺激を受けるーそれの繰り返しだ。
 刺激(時には衝撃)となるのは、専攻分野が全然違うということだけではなくて、時間の使い方とか、ものの価値観とか、付き合いとか、将来の話など色々なところで感じる、“僕や大学の身近な人間、環境”と“外から空気を吹き込むもの”との差だ。「よっしゃー、俺もやったるでー!」「ああ、僕もこれを見習おうっと。」等と大いに発奮することもあれば、その差がすごく大きな壁に感じられたり、「自分は本当にこれでいいのか?」と不安に苛まれる時もある。

 でも結局は、「自分の進んでいる道がどうなのか」なんてことはわからなくて、それは自分が「こうじゃないかなあ」と思うことを積み重ねて作っていくしかないのだと思う。自分にないものを他人が持っていればそりゃあ羨ましくなるし、時として不安にも駆られるけれど、その全てを手に入れることはできないわけだから、自分は自分で他人にないものを築き上げていくしかない。他の人、環境と差があるのは当然のことなのだ。
 ただ自分の道を作っていく過程において、そういう差に只々驚くばかりとか、差は当然あるものと切り捨ててしまうとかいうのではなくて、良い刺激となるものは少しずつでも自分の中に取り入れていきたいとは思う。というか、それをしないと、まさに僕は井の中の蛙になってしまう。

 というわけで、(特に僕のような理系の専門分野を持って)自分の道を切り開いていくことと、他からの刺激を受け、良いものは取り入れることの兼ね合いの難しさ、かつバランスの大事さに気付いて、こんなことを書いてみました。

図書館の人
(04.11.25)
 阪大の工学部図書館には、不可解な人が多い。雑誌を読みながら大きく頷いたり、声をあげて笑ったりしている人、いつも同じパソコンの前で何をするともなく座っているおじさん…中でも一番目立つのが、“宇多田オトコ”である。

 その宇多田オトコは、見た限りではどう見ても学部学生ではなく、年中タオルを首に巻き、半分ずり落ちたメガネをかけ、サンダルで現れる。土日も含め、ほぼ毎日図書館に来てプラプラしているので、忙しいはずの院生とも思えず、どういう身分の人間かはよくわからない。
 僕がこの人を“宇多田オトコ”と命名したのは、その変わった風貌と毎日見かけることから、何となく気になっていた一年ほど前のある日、とんでもない場面に遭遇したからである。
 いつものように首にタオル、でかいメガネ、サンダルという出立ちで登場した男は、図書館のパソコン前で何やらブツブツつぶやきながら笑っていた。「五月蝿いなあ、こいつ 」と思ってしばらくしたその時、突然「Ahhhhhhhh!」という叫びが聞こえたかと思うと、「うん、It's automatic そばにいるだけで♪ フフフフフ」という歌ともいえない、大きな歌声が聞こえてきた!!周りの人達は一斉に振り返り気持ち悪そうに見ていたけど、その人は全く動じることなく、何事もなかったかのようにパソコンの画面を見続け、怪しげな笑みを浮かべていた。
 そんなわけでその人を僕は宇多田オトコと命名し、見かける度についつい興味本位で、しばし観察してしまう。先日は、JRの分厚い時刻表を借りていた。てっちゃん(鉄道マニア)なのだろうか?
 そして今日は、口笛を吹きながらママチャリに乗る宇多田オトコと目が合った。
 さて、今度はどんな宇多田オトコに会えるかな?でも改めて、この人ダレ??

大阪を感じる
(04.10.28)
 先日、京都にいる高校の同級生に、通天閣近くの“新世界”を案内してもらった。
 「なんで、二年半以上も大阪にいるのに、京都の人に(しかも千葉県民に)案内されてんねん…?」という素朴な疑問を抱きつつ、でも実際僕は大阪の梅田から南はほとんど何も知らないので、大人しくそいつの後について行った。

 まず昼飯に連れて行ってもらったのは、新世界に軒を連ねる串カツの店の中でも、一際行列の長い“八重勝”だ。13時頃行ったのにも関わらず大行列で、結局一時間待たされて店の中に入った。(右写真は15時前の行列である。御飯時に関係なく、一日中行列が絶えないということだ。)
 この店は『ソース二度付け禁止!』の張り紙が有名で、その張り紙ばかりがテレビで取り上げられるから、あまり良い印象を持っていなかった。でも実際に行ってみると、店主をはじめ、感じのいい従業員ばかりで、ソース二度付け禁止というのも、ソースの入った容器を2,3人で使うシステムになっているから、むしろ清潔を保つための当然のことであった。そして串カツも、注文すると目の前で揚げてくれて、メチャメチャおいしかった。

 その後、通天閣や難波(グリコの看板とか食い倒れ人形がある所)にも行って、所謂“大阪”を楽しむことができた。

 僕の住む地域は、大学と万博と住宅しかないので、一般的に云われる“大阪”の雰囲気は全くない。だからこうした大阪独特の賑わいがある有名な所に来て、ようやく「ああ、僕は今大阪にいるんだなあ」と実感する。もっともそれはテレビや雑誌に紹介されて頭の中に作り上げられた大阪に対するイメージによるもので、僕のいるところもやっぱり大阪、宝塚も、東大阪も、堺も、すべてが大阪なんだが…。
 せっかく大阪にいるのだから、たまには色々な大阪の顔を見に足を伸ばしてみようかと思う。でも普段生活するにはやっぱり、静かでちょっと高級感の漂う、今住んでいる辺りがいいかな(笑)

藤沢周平
(04.10.20)
 本をあまり読まない僕だが、今、暇を見つけては藤沢周平の時代物小説を読んでいる。
最初に読んだのは“蝉しぐれ”で、文四郎とその仲間二人、お福を中心に描かれた展開に一気に惹きつけられた。その後は映画化されて有名になった“たそがれ清兵衛”や“よろづや平八郎活人剣”などを読み、今は“用心棒日月抄シリーズ”を読んでいる。

 藤沢周平の小説の魅力は、誰もが感じることのようだが、主人公の人柄や成長する姿にあるのだと思う。登場するのは、普段は小馬鹿にされている男(でも実は剣の達人)であったり、訳あって人を斬り脱藩して用心棒稼業に勤しむ男だったり、別にスーパースターではない。いや、むしろ悲運や忍苦に耐えて生きている人が多いが、我々はそこに共感を覚えたり、ある種の親しみを持ち、物語の世界へとのめり込むのかもしれない。
 そうした主人公を描く文体もまた、実に見事だ。現実的で細かな剣の動き、物語に沿った風景描写ーよく練られているのだろうけど、読んでいる間はそれを意識させない(下手な作家だと、その努力をひしひしと感じてしまう)。それでいて、各場面のイメージをうまく作り上げている。
 あまり書きすぎると、嘘っぽくなるから、この辺で終わりにしておこう。とにかく、一度読んでみることをオススメする。

あの人を探せ!
(04.10.9)
 誰もが一度はこっそりやったことがあるのではないか、自分の名前をネットの検索サイトに入れてみる。

 よくある名前なら、同姓同名の人がたくさんいて、ズラーッとページが表示され、「あっ、俺って○○県で医者やってんじゃん。おっ、教授もやってるよ。はあ〜、陸上やってんだ。けっこう俺、すげーかも」なんて、全く知らない人なのに少し嬉しくなって、わけのわからぬ感動に浸る(らしい)。
しかし僕の場合、名字はそんなにメジャーではないし、名前も(同音の俳優さんはいるけれど…)漢字はけっこう珍しい。

 「まさか、同姓同名はいないだろう。」そう思いつつ、僕も密かに自分の名前をYahooに打ち込んでみた。…まさか、出てきた!しかも自分ではなく、他人だ!!

 いやあ、ビックリたまげた。僕の場合、嬉しいような、何か自分の名前を盗られてしまったような、ちょっと複雑な気分になった。そのHPによると彼は兵庫県の人で、ページの写真は少年だけど、生年月日を見ると僕より三、四つ下なだけ。以前に親子のインターネット講座とやらで、ページを作ったみたいだ。
 まあURLから察するに、彼は「じゅんろう」君のようで、インターネットで検索する限りにおいて、同姓同名はいないということを知り一安心、といったところだが、いずれにせよ漢字が全く同じ人が比較的近くにいるわけだ。どんな人なんだろう?何をしてるんだろう?声は?会ってみたいな、でもやっぱり恥ずかしいな。よく知っているようで、何も知らないその人に、ふと思いを巡らせてみる。

僕の大切にしているもの
(04.10.8)
 今日は前回書いた中の、「日記に付けることはないが、表明するからこそ書きたいこと」というテーマで、PCやメールが汎用される今日にあっても大事にしている僕の文具について。

 そう、下の写真が僕が普段使っている自慢の文房具達である。といっても、ただのペンケースと筆記具だが、何が自慢なのかというと、僕はこれらを小六あるいは中学から使っているということだ。
 写真手前の緑色のペンケースは、小六の誕生日にオヤジからもらったもの。本皮で、渋い深緑がお気に入り。奥のadidasのペンケースは中一の時に買ったもの。初めは予備のつもりだったが、長年使ううちに愛着を感じるようになって、今ではこの二つを併用している。筆記用具もかなり長い付き合いだ。でも写真の三本は、どれも自分で買ったものではない!左端のシャープペンは中一の時に友人からもらったもの。余計なグリップとかがついていなくて、細くて僕の好みに合う。どこにでもありそうで、なかなかこういうのはない(大きな文房具屋をチェックしている僕が言うのだから、間違いない)。中央のシャープペンは中学校の体育館で拾ったもの。それを忘れていった人は困ったかもしれないが、これだけ使えばその人も、シャープペンも本望だろう。右端の鉛筆は太宰府の鉛筆で、祖母からもらったもの。鉛筆は消耗するので、基本的にはもう使っていないが、お守り代わりにいつも緑のペンケースに入れている。adidasのペンケースにもたれかかった101匹ワンちゃんのシャー芯ケースは、姉からもらったもので、これもだいぶ長く使っている。
 ついでに部屋にはもっと年季の入ったペンケースもあって、たしか小二くらいの時におばあちゃんに買ってもらったものがあるのだけど、幼稚っぽい野球少年の絵が描いてあって、母親の字で目立つところに名前が書かれている(全部ひらがな)ので、さすがに外では使えず、引き出しの中で使っている。

 とにかく、僕は文房具に対するこだわりが強い。まず色々な種類があって文房具そのものが好きだ。文房具売り場があれば3時間でも4時間でも時間を潰せる(実際はそこまでしないけど…)。しかし別に次から次へと文房具を買うわけではなくて、たいていは単に見るだけ。やはり気に入って使い続けてきた文具には、好みのデザイン・性能に加えて、膨大なノートを書き、共に受験を乗り越えてきたという思い入れがあるから、かなわない。
 これからもほぼ毎日使っていくことになると思うが、大切にしていきたい。自分自身、いつまで使い続けられるか楽しみだ。頑張れ、我が文房具達!

思ったことを言葉にする
(04.10.1)
 今年の5月くらいから細々とWebpageを開設してきたけれども、とてもみんなに見てもらえるようなものではなかったので、この度ようやく整備をした。といっても、手抜きの部分多々ありだけど、たまに更新もしていきたいと思います、ハイ。

 ページでは普段感じたこととか、気になった話題について書いていこうと思うが、なかなか自分の考えや思いを言葉にするということは難しい。しかも、それをこうしてWebpageにアップするとなれば、やはり他人の目を少しは気にしなければならないし、かといって偽りの気持ちを文章にしてもおもしろくない。
 僕は高校一年の頃から毎日日記を付けていて、それは誰に見せるものでもないから、まさに日頃の思いとかを自由に書いている。たまに何にも書きたくない時もあるけれど、その日記は一応毎日付けることに決めているから、どうしても言葉にできない時は下手くそな絵を描いたり、グチャグチャとボールペンで書き殴るだけのことも。それはそれで「書きたくない」という正直な気持ちの表現で、その表現を残していくことに僕はこだわりを持っている。

 ま、このページは別に毎日書かなきゃダメってこともないし、ボールペンでグチャグチャ書き殴りたい気分を表明しても仕方ないから、そういう時は書かない。
 自分の中にしまっておきたいような気持ちや考えは、僕の日記帳に書き留めておくことにして、このページには誰かに知らせたい考え・日記に付けることはないが、表明するからこそ生まれる考え・マジでくだらない日常の出来事、そんなものを載せていこうかと思っています。そうそう、更新していないからといって、その間ずっと、グチャグチャ書き殴ってるのではないですからね(笑)

 右写真が僕の日記帳(一週間分)。高画質のカメラで撮ったら、文字がはっきり読めてしまったので、画質を思いっきり落とした。人には読ませられないからね…。でも、この通り、けっこう毎日たくさん書いてます。



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Last modified 04.12.31