アツロー、
山陰の旅(2011年1月8日, 9日)の巻。最大の目的は
出雲大社 に行くこと。詳細は述べないが、ボクはこの出雲大社にお礼を言いに行きたかった。比較的近くにいるうちに、そして学生という肩書きのうちに。
出発3日前。いつも通り、企画も予約もなーんにもしていなかったので、るるぶを購入。最初はひとりで行くつもりだったが、
「冬の日本海は寂しいのぅ」
と思い始めて、誰かを誘うことにした。企画の趣旨を理解し、かつボクの無茶振りに付き合ってくれる心のでっかいヤツ…ワンゲルの
なかまん しかいねぇ。電話したら、期待通りの返事だった。そこで帰宅後の深夜、るるぶとネットを使って計画、翌朝研究室に行く前にバスとホテルの予約も済ます。
さて、当日朝7:20@梅田。なかまんと集合して、バスで出雲へ。年末年始、山陰地方の豪雪がニュースになっていたので、予定通りバスが動くのか心配だったが、まったく問題なく走った。ただ、鳥取の大山付近まで来ると、かなりの雪が残っていた→
13時前、出雲市駅に到着。そこから10分ほど路線バスに乗って出雲大社へ。参拝の前に、腹ごなしをするため、出雲そばを食べた@かねや。“割子そば”といわれる、色々な薬味とともに何段かに小分けされたそばを食した。おいしいが、やや割高だった。
続いて、出雲大社へ。出雲大社といえば、
縁結びの神様 として有名であり、また近年のスピリチュアルスポットのブームもあってか、若い女性グループがやたらと多かった。
「嗚呼、こんなとこに
男二人 で来るなんてあり得えねぇ…別に、オレそこまで深刻ちゃうし」
と、なかまん君は言いた気に見えたが、取り合わずに突き進む。生憎、本殿は改修中で中に入れなかったが、本殿前と神楽殿でお礼を言うことができ、清々しい気持ちになった。お守りとおみくじも購入。
(左) | 本殿の模型。実際、こんな高い建物だったのか、こんな長い坂があったのかは ? らしい。でも、こうであったと信じていた方がいいかもね。 |
(右) | 神楽殿には、巨大なしめ縄がある。ここに小銭を投げて、引っかかれば御利益がある!?
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参拝後、出雲から宍道湖畔へ一畑電車で移動。そこから30分ほど歩き、その日のお宿、JR松江駅前のユニバーサルホテルへ。朝夕食無料で、一人4000円弱という破格の値段だったが、部屋はきれいだったし、大浴場もあって満足だった。(無料とはいえホテルで食べたら味気ないので)夕食は、近くの海鮮居酒屋に食べに行った。ホテルのフロントの人に聞いて行ったのだが、リーズナブルな良い店で、海鮮がかなりおいしかった。
こんなまったりして、優雅な休日は久しぶりだぁ…
と話しながら、どんどん飲む。因みに、なかまんも生粋の九州男児で、焼酎をボカスカ呑む。二人ともフワフワしてきた頃、ワンゲルの思い出話に花が咲き、片っ端からワンゲルの同僚に電話をかけまくった。迷惑電話に出てしまったみなさま、すみませんでした (^_^;)
…翌朝、
境港 へ。松江から境港へ電車で行くと、けっこう面倒臭くて時間もかかるんだが、昨年の「ゲゲゲの女房」効果で、期間限定(今年3月まで)の直行バスが走っていたので、楽チンだった。
境港は 鬼太郎一色。
駅前から水木しげる記念館まで続く水木しげるロードには、色んな妖怪の像があるし、ポストや街灯まで鬼太郎仕様になっている。一人の漫画家の作品を、ここまで街をあげて応援するというのは、なかなかすごいことだと思う。
境港で海鮮丼を食べた後、再びバスで松江に戻り、そこから電車で一駅の玉造温泉へ。玉造温泉には敷居の高い旅館が建ち並んでいるが、各々の旅館内で過ごす人が多いためか、レストランや土産物屋はない。ほとんど人通りもなく、街としての活気はなかった。もう少しやり方があるんじゃないかと思ったり…。それはともかく、日帰り入浴をやっている旅館を探していたら、ちょうど千代の湯という旅館が15時から日帰り入浴をやっていて、二人で一番風呂を占領できた。
ゆっくりした後、玉造駅に戻り帰路につく。帰りは時間の都合で電車で帰ることにした。駅に着いた後、大雨になったので、危ないところだった。
これまでなかまん君とどこかへ行くと、何かしらのハプニングが起こっていた。それが今回は何もかもがうまくいき過ぎていたので、ずっと警戒していた。
しかし、最後の最後まで何事もなく終わった。充実して、思い出に残る二日間であった。
島根県民のみなさん、「島根は全国で
47番目に有名な都道府県」などと自虐的なこと言ってないで、島根のいいとこアピールしてくださいね!(注:境港は鳥取だが…)
- 変わらぬもの、それが本質
(11.1.30)
研究室の机を整理していたら、机の中からこんなメモが見つかった。
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12:25 Sep. 9, 2006
落ち着け。オレにしかできないことがある。自分でよく考えること。
広い視点から、新たなコンセプトを見い出すこと。
そう、オレは出来の良いロボットになりたいわけじゃない。
目の前の結果を求めすぎて、本質を見失うな。
たとえ、目の前の結果に終始するヤツを見ても、焦るな。
焦ったら、俺のプランも言い訳になる。
落ち着くこと。
熟考すること。
そこに追随を許さぬ道がある。
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2006年といったら、ボクが修士1年の時である。いったい何があってこんなメモを残そうと思ったのかは全く覚えていないが、たしかに修士1年のときは色々と揺らいで、不安定な時期であった。ただ“予定通り”少しだけ落ち着いた今でも、基本的な考え方は変わっていなくて、当時の自分の気持ちがよく理解できる。今の自分に対しても、同じ事を言い聞かせたい。
…自分自身も周りの思考も、大して進歩してないってことだな(笑)
- はなしの種に
(11.1.17)
大阪鶴見緑地にある『咲くやこの花館』に行ってきました。1990年の花博のときに建てられた施設だそうです。
今回の目的は、
高山植物を見ること。
山の上でしか見られないはずの植物を本当に見られるんだろうか…と思い、興味を持ったのです。
実際行ってみると、珍しい白色のコマクサ、ヒマラヤの高山植物など見たことない高山植物がたくさんありました。高山植物だけではなく、熱帯雨林コーナー、サボテンコーナー、極地植物コーナー、アロマコーナーなど各コーナーで多様な植物を見ることができ、かなり楽しめます。世界最大の花、ラフレシアの標本もありました。たまたまガイドしてくれたお姉さんは、高山植物よりも可憐でした。
で、こんなに多様な植物をいったいどうやって育てているかなのですが、至る所に温度計・湿度計があり、巡回する係の人がチェックしているようでした。もちろん熱帯雨林コーナーは蒸し暑く、高山植物コーナーはこの時期の外気温と同じくらいです。また、我々がいつ行っても色々な花を展示できるよう、裏の部屋で人工的に温度・照射時間を調整し、定期的に展示を入れ替えているようです。かなり研究と努力を積んでいると思われます。
写真を撮るもよし、植物の名前を覚えるもよし、単に癒されるもよし、色々な楽しみ方ができるかと思います。周りはなーんもありませんが、興味のある方は是非どうぞ。
- 流行りに早るな
(11.1.17)
梅田のデパートの人気スイーツを求めてできた長蛇の列を眺めながら、こんなことを思うのだ。ボクは流行の最先端を追いかける人間よりは、一つでいいから流行を生み出す側の人間でありたい、と。
東京や大阪の中心には、流行の最先端が溢れている。今年流行の服や種々のアイテムを取り揃える店、ヨーロッパで修行を積んだという人のレストランやカフェ…流行には(一時的なものであっても)時代に合った良さがどこかにあるんだと思う。人生の転機が訪れない限り、たぶんボクが知ることはないであろう世界もたくさんあるんだろう。羨ましいな、かっこいいなと思う。
一方で、ボクは流行というものに些かの抵抗も感じる。おそらくこれは、他の人が生み出した流行をひたすら受け取ることに終始し、自分がさも流行の最先端にいるような顔をする人に対し、嫌悪感を抱くことに起因しているのだと思う。
ちょっと想像してみよう。有名パティシエのスイーツカフェ。店頭に並ぶケーキはどれも美しいけど、それを作る裏側がキレイなことばかりのはずがない。バターまみれの調理器具の洗い物、下準備、次作のための試行錯誤。パティシエも修行時代は過酷な肉体労働をしてきたことだろう。外国で修行を積んだなら、おそらく言葉の壁もあったろう。そういった流行の裏側にある実世界に目を向けずに、完成された表の顔だけを数多く収集することに奔走する人を、流行をよく知る人間といえるのだろうか。
尤も、こんな理屈っぽいことをいっても、流行は“そういう人達”によって支えられている面もある。また、一人の人間がすべての業界で一流になることは無理であるから、各業界の一流の人間が生み出した流行を享受するのは良い刺激になる。ただ、少なくともボク自身は、流行を享受するだけの人間ではなく、何か一つ(いゃ、二つ、三つ)裏の泥臭い世界をも知り尽くした自作品を世に問う側の人間でありたい。例えばボクが人気スイーツ店に並ぶ客であるならば、同時にボクは有名ラーメン店の店主か、山ガールを虜にする天才アルピニストでありたい。
流行を知ることよりも、生み出すことは格段に難しい。ボクが見た長蛇の列に並ぶ人々のうち、どれくらいの人が流行を生み出す(生み出そうとしている)人間であったのだろう?
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Last modified 11.6.24