Miscellany

危険物取り扱い者
(11.6.24)
 ボクが所属する某研究所の、ある日の連絡用掲示板↓

 その1

 その2

 …この研究所は、大丈夫なんだろうか? (^_^;)

自由という束縛
(11.6.3)
 選択の自由 を苦しいと思う人、思わない人がいると思う。
 たとえば、友達と会うことになった。待ち合わせ場所はどうしようか?どの店にしようか?お互いの都合、趣味を考慮したとしても、選択肢はいっぱいある。けれど、何かを決めないことには、一向に話が進まない

 このような状況において、“自由に”縛りを入れていく作業を楽しいと思える人はつくづく幸せだろうなぁと思う。ボクはどちらかというと、この選択の自由に苦しみを感じる方だからである。
 しかし、苦しいながらも『えいやっ』と選択をしてしまえば、産みの苦しみを振り返るのは楽しいもんだ。たとえ失敗しても、自分の責任になる(自分の糧になる)だけだ。だからボクは選択の自由を許容することができる。

 「苦しんでまで選択の自由を得たいとは思わない」ーそんな人もいるだろう。
 別にボクは、そういう人達を無能な人間だと極論するつもりはない。ただし、このような人間はうまーく他人に決断させる能力(上の例の場合、友達に待ち合わせ場所等を全部セッティングしてもらうよう仕向ける術)をもっていないと、友人関係でも仕事・研究でもうまくいかなくなってしまうだろう。大人になるほど、この『選択の自由』の機会が増えるので、なおさらだ。

 夕時のスーパーでこんな声が聞こえてきた。

母親 「今日、晩ご飯何食べたい?」
子供 「えー、何でもいい。」
母親 「何でもいいというのが一番困る!」

母親は、選択の自由を苦しんでいるんだろう。子供は、悩んでまで自分の食べたいものを主張したいとは思っていない。母親の作った料理なら何でもおいしいというのが本音だろうが、なぜキミは選択の自由を放棄してしまったのだ?母親に決めてほしいなら、もう少し母親を困らせない工夫をしたらどうだ!

「だってホントに何でもいいんだもん… ( ̄へ ̄) アスパラとグリーンピースは嫌だけど。。。」

 自分が小学生の頃、まったく同じ会話をしたなぁなんて思い出しながら、でも今は母親側の立場に同情している。みなさんはどのタイプの人間で、この『選択の自由』とどのように向き合っていますか?

ユニセックス
(11.5.24)
 メタボ進行中の読者には自慢話に聞こえるかもしれないが、そうではない。まだまだ力任せに何にでも突進したいお年頃の28歳アツローが、である。油物を食べれば胸焼けし、筋肉もどんどん失われていく。

 この間、チノパンを買いにユ○クロに行ったら、サイズの合う男性用がなくて、仕方なく 女性用 を買ってしまった (^_^;) さすが女性用だけあって、(見た目はフツーだが)インナーに花柄がついている。もし、何かの機会(どんな機会だ!?)にボクの履いてるチノパンの裏地に花柄がついているのを見てしまっても、驚かないでほしい。そーいう趣味はない。

 しかし、これは本気でもうちょい筋肉つけないとヤバいな…

神戸×3 − 六甲山
(11.5.17)
日本郵船歴史博物館 氷川丸
横浜の山下公園の近くにあります。入館料200円(2011年5月現在)。一等客室とか、機関室とか見ることができ、かなり面白いです。一見の価値あり!

 横浜に行くのは十数年ぶりだった気もしますが、もっと彷徨いてみたくなる街でした。横浜に詳しい人は、ぜひ情報下さい。

静まれ、静まれ
(11.5.17)
茨城名物

って書いてあるけど、ゼッタイまずいだろうな…

 そう思ったのに茨城在住者としての使命感を感じて(!?)購入。あぁ…(-_-;)

やっぱり食えなかった。。。後味が悪すぎ。
 そもそも、フツーのポテトチップスですら一人で食べきれないボクが、こーいうものを買うもんじゃないね。今度、水戸に行って、普通の納豆を食べよう。

味わい
(11.4.25)
 阪大の学食の名物に「天津マーボー丼」というメニューがある。天津飯の餡を控えめに、代わりにマーボー豆腐がのっている。ホントに阪大がオリジナルなのかどうかは定かでないが、ありそうでない組み合わせだ。そして意外に美味い。

 この阪大名物、天津マーボー。吹田キャンパスでは、弁当ボックスとして生協の横で売られているんだが、皿に盛られた 本物 は豊中キャンパスの図書館下食堂、通称「かんした」にある。学部の頃はボクも豊中キャンパスに通っていたんだが、「かんした」は体育会系の学生達のたまり場で、いつも モワッ としていた。へたれアツロー(一応、ワンゲルアツローも体育会系なんだが…)はそれが苦手で、「かんした」に寄りつかなかった。従って、一度も本物の天津マーボーを食べたことがなかった。

 でも阪大を去る前に、一度は ホンモノ を食べたいなぁ…と思い、卒業前に連絡バスに乗って、久しぶりに豊中キャンパスに行った。
 豊中キャンパスきれい過ぎでしょ!

 何なの、この無駄なスペース、カラフルないす。
 こんなの吹田にありませんけど…(-_-;)

 何なの、あのオシャレな喫茶店。ケーキセットなんか出しちゃったりして。
 こんなの吹田にありませんけど (-_-;)

 文系学部ばっかの豊中なのに、なぜかコンビニがある。
 “不夜城”吹田にはありませんけど! (-_-;)

 まぁ、もう阪大を去った今となっては関係ないんですがね。。。話を元に戻しましょう。

これがホンモノの天津マーボー
450円なり


 味は吹田の弁当ボックスと同じだったけど、ボリュームが半端なかった。ついでに「かんした」も綺麗に改装されていて、昔のモワッとした空気はもう無かった。

 不思議なもので、あれだけ嫌っていた「かんした」の空気が感じられないと、急に物足りない気分になって、帰る前にワンゲルの部室を見に行った→

よかった。ここは変わってない。汚そう(笑)

この扉を開けたら、テントのにおいとか、誰かの置きっぱなしのジャージとかザックのにおいがするんだろうな…
モワッ と。
 でも、それを確かめる勇気はボクにはなくって、写真を一枚撮って、近くにいた天文部の女の子に話しかけて(←こういう勇気はある)、部室を後にした。ボクの汗臭い学生生活の想い出は、華やかになったキャンパスの片隅にひっそりとしまっておこう。

日本を救うぜよ
(11.4.24)
 一連の関東大震災、原発のニュースを見ていて、今の日本には 強いリーダー が必要だなぁと感じている。リーダーにも色々なタイプ・考え方の人がいると思うけれど、その人なりの道筋を見せてくれる人がいないと、周りは(ブーブー文句は言っても)停滞するのみである。

 リーダーがほしい。

 東京都知事選の結果などは、政策内容云々の前に、そういう民意の表れなのではないかと思っている。

 じゃあ、リーダーが不足ならば、大学はもっとリーダーが育つ教育をしないと、学生はリーダーたり得る責任と自覚を持たないと…と思っていたんだが、卒業式の時の阪大総長(鷲田清一:哲学者)の式辞は、なかなか興味深い指摘であった。

(式辞を参考に、改変)
 “みなさんは、社会に出て優れたリーダーたることを目指しておられるかもしれません。もちろんそれは間違いではありません。けれども忘れてはならないのは、誰もがリーダーになりたがるような社会はすぐに壊れるということです。一つの事業を成し遂げるには、リーダーとともに、脇役や黒子やコマが要ります。その意味では、リーダーシップと同じくらい、優れたフォロワーシップというものが重要になってきます。みなさんには、日々それぞれの持ち場で己の務めを果たしながら、状況に応じてリーダーにもフォロワーにもなれる“しなりのある集団”を築くことを目指して欲しいです。”

 うーむ。たしかに優れた“フォロワー”がいないと、組織は成り立たない。そういう役回りの価値・存在の大きさは、今後ちゃんと意識したいと思う。しかし、「リーダーにもフォロワーにもなれる」というのは、一番レベルの高い要求だよな。。。

 一番高いレベルを要求はしない、リーダーシップだけでいいから存分に発揮してくれる人が、今の日本に現れてはくれまいか。あぁ、話が振り出しに戻ってしまった (+_+)

絵本の旅
(11.4.17)
 萩・津和野 に行く時間がなかったなぁ。大阪にいるうちに萩・津和野に行って、建物や博物館、美術館を見て回りたかった…。そんなことを東京行きの新幹線の中で思っていました。
 雑誌を立ち読みしながら、津和野で注目していた美術館は、安野光雅美術館。ちっちゃい頃、ウチに 旅の絵本 というのがあって、夢中になってその絵に見入っていた記憶が残っているからです。

 そんな折、実家で新聞を読んでいたら 安野光雅展@新宿伊勢丹 の広告が目に止まりました。これは行くしかない!とすぐに思い立ち、いそいそと出かけました。
 幸い、そんなに混んでいなかったので、落ち着いて見ることができました。淡い色合い・ふんわりしたタッチの水彩画が多いのですが、よくよく見ると実に細かくて、ウォーリーを探せのような楽しみもあります。津和野をはじめとする日本の街の風景画を見ているだけで、時間の流れがゆっくりになったような気がしました。

「ボクにはこういう故郷がないな。でも、まだボクがこういう所に移り住むのは早いな」とも (^_^;)

 外国の風景画もあり、旅の絵本 を思い出しながら、こちらもその土地、その土地に思いを馳せてみました。続編が出ているみたいなので、今度気が向いたら買ってみよう!

首尾
(11.4.10)
 長らく更新が滞ってしまい、申し訳ありませんでした。引っ越し前後でバタバタとしておりました。読者の方は大半がご存知かと思いますが、今は新天地 つくば におります。

 大学入学以来9年間も住み続けた大阪を離れるというのは、とても寂しいものでした。大阪で一人暮らしを始めてからしばらくは、早く関東に戻りたい などと思っていましたが、そんな自分の気持ちも懐かしく思ってしまうくらい。。。馴染みの店や、友人もたくさんできて、今や大阪での9年間はボクの人生の大きな一部です。

 大阪を離れる直前の二ヶ月(引っ越し前日も!)、色々な人にお会いしました。卒業祝いにと特別な場所で、はたまたいつもと同じメンツ、同じ場所で。遠くにいて会えなかった皆様からもたくさんお祝いの言葉をいただきました。それぞれの方達の名前を挙げて紹介したいところですが、書ききれぬほどの思いがありますので、心に留めておきます。ただ、一つ書いておかなければならないのは、ボクは本当にたくさんの親戚・先輩・友人らに恵まれて生活できた、ということです。こうして博士号を取得して新たな生活を始めることができ、改めて感謝の気持ちでいっぱいです。同時に、博士号を持つことの社会的責任も再認識している次第です。

 ボクの長ーい大学/大学院生活を支えてくれた全ての人々、店、ものを代表して、

ありがとう、大阪。

関西圏の皆様とは少し離れてしまいますが、また絶対行きますので、どうぞよろしく(^o^) つくばの事は少しずつ書いていくつもりですが…関東圏以外に在住の方へ、

関東は ガチで節電 してます。ガチで地震多い です。

地震はすでに何回起きたのか、わかりません。しばらくは身をもって、震災の余波を感じたいと思います。

首を長くして待つ
(11.3.18)
 ここ数日、テレビ、ニュースなどを見ながら、今回の大地震に対する色々な人の意見・報道の仕方・態度を見聞きしている。テレビ番組は、昨日くらいからどの局も通常の番組に戻りつつあるが、テレビ東京だけは一足先に『キラキラアフロ』とか普通に放送していたので、なかなか笑えた。
 しかし、ある意味、この平静さはみな見習うべきである。自分がどこまで冷静でいられるかは自信がないが、決して惑わされてはいけない。情報を発信する側も、まずはその真偽・人々に与える影響をよく考慮するべきである。これは情報の迅速性と同等以上に重要だと、ボクは思う。

 原発に関する情報だって、関係者 の方々が色々言っているみたいだけど、関係者って何者なんだ。権限はあるかもしれないけど、果たしてどこまで自分の発言に責任をもっているのかは、よくわからない。「水と酸素が反応して、水素爆発が起きたんです。」などと意味不明のことをしたり顔で言われても困る。(もしこれが真実だとすれば、とっくに地球は吹っ飛んでいる。)

 現場で取材しながら、涙を流すアナウンサー。人間だねぇ、被災者の方々の気持ちに同情しちゃったのね。と、視聴者が感じるとでも思っているのか。現地で取材をするなら、テレビの公共性を活かした番組となるよう、冷静に情報を伝えなきゃ。あと、現地の方々の気持ちになるなら、テレビ局のマークが入ったヘルメットを自分達だけかぶるのはやめよう。

 自宅近くのスーパー。 売り切れ (-_-;) …あのねぇ、大阪で水買い占めてどーすんの!? 関東、東北に送るつもり?無理ですよ…荷物はちゃんと届きませんから。

 そんなわけで、ボクの 引っ越しは延期 になっちまいました。春の学会も何もかも中止。できるだけ早く移動するつもりですが、どうするのが最善か、冷静に見極めながら行動したいと思います。

首を長くして待ち過ぎて
(11.3.8)
 人間でもキリンでも首の骨は7本と決まっているそうだが、この前、整形外科でけっこうショッキングなことを言われた。

「アナタ かなり撫で肩 なので、ほら、骨が8本に見えるでしょ。だから、首が長く見えるんです。」

 ぇ”…そんなことってあんの!? (-_-;)

 仮にも、重い荷物を肩に背負って山を歩いてきた男が、撫で肩ってどうなのよ。。。自分では、正直あまり意識したことなかったんだがなぁ。

 欲張りで、色んなものを待ち望む性格を直せば、少しは “首が短く” なるだろうか。

阪急電車
(11.2.28)
 有川浩さんの小説『阪急電車』が今度映画化される。タイトルの如く、阪急線(今津線)が舞台で、駅と駅の短い間に起こる様々な人間模様が、阪急電車を通してつながっていくという話。爽やかなライトノベルで好きです。映画も見に行こうと思ってます。

 で、今日ボクが乗ったのは、阪急神戸線。三ノ宮で座ったボクの右隣に座ったのは、サーファー気取りの45歳くらいの顔黒オヤジ。

「オマエどこ行くねん」

とツッコめ、るわけもなく黙っていたが、とにかく タバコ臭すぎ (+_+)…しんどかった。

 最初に左隣に座ったのは初老の男性。パンパンに荷物を詰めたリュックサックを背中に背負ってやって来て、何の躊躇いもなくそのまま座る。

いゃいゃいゃ、リュックがボクにあたりっ放しなんですが…。

と思ったら、iPhone を取り出し、慣れた手付きでいじり始めたので驚いた。この人、ボクより若い。これだから、近頃の “若いもん” は自分と感覚が違って困る (^_^;)

 正面には、電車に乗る直前、ボクの真後ろで誰かと電話をしていた若い人。「…大学行くから、石橋らへんで。」とか言ってたので、阪大生だと思われる。真向かいに座って容姿がわかったが、体育会系クラブのバッグをもったごつい人だった。その横では、見た瞬間 中学生 とわかるファッションのカップルが、やたらとイチャついている。ボクがガン見してあげてるのに、目もくれず見つめ合っていた。あぁ、若い。

 西宮北口で、左隣の初老のおじさんが降りて、次に乗ってきたのが、いかにもなスーツを着て、いかにもな顔したお兄ちゃん。すさまじい香水のニオイが漂ってきた。そして、

「そんなに足広げたら、むしろ辛いでしょ」

っていうくらい足をお開きになる。右向きゃサーファーオヤジのタバコ臭、左向きゃ水商売の男。仕方なく、前を向くしかなかった。正面では、阪大体育会のお兄ちゃんが口開けて寝ている。お兄ちゃんが、横のイチャつくカップルの女の子に船漕いでもたれかからないか、気が気でなかった。

 西宮北口から十三までの10分は長かったなぁ。。。

 そんなわけで、今日の阪急電車は爽やかさとは程遠かったけど、阪急電車 好きです。

ワインの深みのように
(11.2.18)
 更新するのを忘れていたが、博士論文公聴会の前、フランスの教授陣とベノワからプレゼントとメッセージカードが送られてきた↓↓↓ こういうシャレた演出は、さすがフランスだなと思う。


 ボクは色々な大学のグッズを集めるのが好きなので、フランスで買いそびれたこのパーカーはかなり嬉しかった。今も週1のペースで着ている。あと、このカード。

"En Bourgogne pas de mers, mais beaucoup de cotes!"
(ブルゴーニュに海はないけど、ワインならたくさんあるよ!)

って意味だと思う。間違ってたら、誰かフランス語のできる人、教えてください。

 ボクのこれまでの研究生活は、彼らの協力なしには成り立たなかった。ベノワとボクは交換留学をして、お互い楽しいことも苦しいことも経験した。その上で今があり、彼とは今後も長い付き合いができればいいな、と思っている。きっと、もっと年月を重ねれば、複雑さの中に深みが出てくると思う。

雪化粧
(11.2.14)
 大阪で久しぶりの積雪

 昔は雪が降るとワクワクしたのに、今は

「帰るのがメンドい」

とか、

「寒いからヤダ」

としか思わなくなってしまった。
 今度、雪まつりでも行って、少年の心を取り戻すか。取り戻せるのか?28歳。

砂丘の西側
(11.1.30)
 アツロー、山陰の旅(2011年1月8日, 9日)の巻。最大の目的は 出雲大社 に行くこと。詳細は述べないが、ボクはこの出雲大社にお礼を言いに行きたかった。比較的近くにいるうちに、そして学生という肩書きのうちに。

 出発3日前。いつも通り、企画も予約もなーんにもしていなかったので、るるぶを購入。最初はひとりで行くつもりだったが、

「冬の日本海は寂しいのぅ」

と思い始めて、誰かを誘うことにした。企画の趣旨を理解し、かつボクの無茶振りに付き合ってくれる心のでっかいヤツ…ワンゲルの なかまん しかいねぇ。電話したら、期待通りの返事だった。そこで帰宅後の深夜、るるぶとネットを使って計画、翌朝研究室に行く前にバスとホテルの予約も済ます。

 さて、当日朝7:20@梅田。なかまんと集合して、バスで出雲へ。年末年始、山陰地方の豪雪がニュースになっていたので、予定通りバスが動くのか心配だったが、まったく問題なく走った。ただ、鳥取の大山付近まで来ると、かなりの雪が残っていた→

 13時前、出雲市駅に到着。そこから10分ほど路線バスに乗って出雲大社へ。参拝の前に、腹ごなしをするため、出雲そばを食べた@かねや。“割子そば”といわれる、色々な薬味とともに何段かに小分けされたそばを食した。おいしいが、やや割高だった。

 続いて、出雲大社へ。出雲大社といえば、縁結びの神様 として有名であり、また近年のスピリチュアルスポットのブームもあってか、若い女性グループがやたらと多かった。

「嗚呼、こんなとこに 男二人 で来るなんてあり得えねぇ…別に、オレそこまで深刻ちゃうし」

と、なかまん君は言いた気に見えたが、取り合わずに突き進む。生憎、本殿は改修中で中に入れなかったが、本殿前と神楽殿でお礼を言うことができ、清々しい気持ちになった。お守りとおみくじも購入。


(左)本殿の模型。実際、こんな高い建物だったのか、こんな長い坂があったのかは ? らしい。でも、こうであったと信じていた方がいいかもね。
(右)神楽殿には、巨大なしめ縄がある。ここに小銭を投げて、引っかかれば御利益がある!?

 参拝後、出雲から宍道湖畔へ一畑電車で移動。そこから30分ほど歩き、その日のお宿、JR松江駅前のユニバーサルホテルへ。朝夕食無料で、一人4000円弱という破格の値段だったが、部屋はきれいだったし、大浴場もあって満足だった。(無料とはいえホテルで食べたら味気ないので)夕食は、近くの海鮮居酒屋に食べに行った。ホテルのフロントの人に聞いて行ったのだが、リーズナブルな良い店で、海鮮がかなりおいしかった。

こんなまったりして、優雅な休日は久しぶりだぁ…

と話しながら、どんどん飲む。因みに、なかまんも生粋の九州男児で、焼酎をボカスカ呑む。二人ともフワフワしてきた頃、ワンゲルの思い出話に花が咲き、片っ端からワンゲルの同僚に電話をかけまくった。迷惑電話に出てしまったみなさま、すみませんでした (^_^;)

 …翌朝、境港 へ。松江から境港へ電車で行くと、けっこう面倒臭くて時間もかかるんだが、昨年の「ゲゲゲの女房」効果で、期間限定(今年3月まで)の直行バスが走っていたので、楽チンだった。

 境港は 鬼太郎一色

 駅前から水木しげる記念館まで続く水木しげるロードには、色んな妖怪の像があるし、ポストや街灯まで鬼太郎仕様になっている。一人の漫画家の作品を、ここまで街をあげて応援するというのは、なかなかすごいことだと思う。

 境港で海鮮丼を食べた後、再びバスで松江に戻り、そこから電車で一駅の玉造温泉へ。玉造温泉には敷居の高い旅館が建ち並んでいるが、各々の旅館内で過ごす人が多いためか、レストランや土産物屋はない。ほとんど人通りもなく、街としての活気はなかった。もう少しやり方があるんじゃないかと思ったり…。それはともかく、日帰り入浴をやっている旅館を探していたら、ちょうど千代の湯という旅館が15時から日帰り入浴をやっていて、二人で一番風呂を占領できた。

 ゆっくりした後、玉造駅に戻り帰路につく。帰りは時間の都合で電車で帰ることにした。駅に着いた後、大雨になったので、危ないところだった。

 これまでなかまん君とどこかへ行くと、何かしらのハプニングが起こっていた。それが今回は何もかもがうまくいき過ぎていたので、ずっと警戒していた。

 しかし、最後の最後まで何事もなく終わった。充実して、思い出に残る二日間であった。
 島根県民のみなさん、「島根は全国で47番目に有名な都道府県」などと自虐的なこと言ってないで、島根のいいとこアピールしてくださいね!(注:境港は鳥取だが…)

変わらぬもの、それが本質
(11.1.30)
 研究室の机を整理していたら、机の中からこんなメモが見つかった。

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12:25 Sep. 9, 2006

落ち着け。オレにしかできないことがある。自分でよく考えること。
広い視点から、新たなコンセプトを見い出すこと。
そう、オレは出来の良いロボットになりたいわけじゃない。
目の前の結果を求めすぎて、本質を見失うな。
たとえ、目の前の結果に終始するヤツを見ても、焦るな。
焦ったら、俺のプランも言い訳になる。
落ち着くこと。
熟考すること。
そこに追随を許さぬ道がある。
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 2006年といったら、ボクが修士1年の時である。いったい何があってこんなメモを残そうと思ったのかは全く覚えていないが、たしかに修士1年のときは色々と揺らいで、不安定な時期であった。ただ“予定通り”少しだけ落ち着いた今でも、基本的な考え方は変わっていなくて、当時の自分の気持ちがよく理解できる。今の自分に対しても、同じ事を言い聞かせたい。

 …自分自身も周りの思考も、大して進歩してないってことだな(笑)

はなしの種に
(11.1.17)
 大阪鶴見緑地にある『咲くやこの花館』に行ってきました。1990年の花博のときに建てられた施設だそうです。

 今回の目的は、

 高山植物を見ること。

山の上でしか見られないはずの植物を本当に見られるんだろうか…と思い、興味を持ったのです。

 実際行ってみると、珍しい白色のコマクサ、ヒマラヤの高山植物など見たことない高山植物がたくさんありました。高山植物だけではなく、熱帯雨林コーナー、サボテンコーナー、極地植物コーナー、アロマコーナーなど各コーナーで多様な植物を見ることができ、かなり楽しめます。世界最大の花、ラフレシアの標本もありました。たまたまガイドしてくれたお姉さんは、高山植物よりも可憐でした。

 で、こんなに多様な植物をいったいどうやって育てているかなのですが、至る所に温度計・湿度計があり、巡回する係の人がチェックしているようでした。もちろん熱帯雨林コーナーは蒸し暑く、高山植物コーナーはこの時期の外気温と同じくらいです。また、我々がいつ行っても色々な花を展示できるよう、裏の部屋で人工的に温度・照射時間を調整し、定期的に展示を入れ替えているようです。かなり研究と努力を積んでいると思われます。

 写真を撮るもよし、植物の名前を覚えるもよし、単に癒されるもよし、色々な楽しみ方ができるかと思います。周りはなーんもありませんが、興味のある方は是非どうぞ。

流行りに早るな
(11.1.17)
 梅田のデパートの人気スイーツを求めてできた長蛇の列を眺めながら、こんなことを思うのだ。ボクは流行の最先端を追いかける人間よりは、一つでいいから流行を生み出す側の人間でありたい、と。

 東京や大阪の中心には、流行の最先端が溢れている。今年流行の服や種々のアイテムを取り揃える店、ヨーロッパで修行を積んだという人のレストランやカフェ…流行には(一時的なものであっても)時代に合った良さがどこかにあるんだと思う。人生の転機が訪れない限り、たぶんボクが知ることはないであろう世界もたくさんあるんだろう。羨ましいな、かっこいいなと思う。

 一方で、ボクは流行というものに些かの抵抗も感じる。おそらくこれは、他の人が生み出した流行をひたすら受け取ることに終始し、自分がさも流行の最先端にいるような顔をする人に対し、嫌悪感を抱くことに起因しているのだと思う。

 ちょっと想像してみよう。有名パティシエのスイーツカフェ。店頭に並ぶケーキはどれも美しいけど、それを作る裏側がキレイなことばかりのはずがない。バターまみれの調理器具の洗い物、下準備、次作のための試行錯誤。パティシエも修行時代は過酷な肉体労働をしてきたことだろう。外国で修行を積んだなら、おそらく言葉の壁もあったろう。そういった流行の裏側にある実世界に目を向けずに、完成された表の顔だけを数多く収集することに奔走する人を、流行をよく知る人間といえるのだろうか。

 尤も、こんな理屈っぽいことをいっても、流行は“そういう人達”によって支えられている面もある。また、一人の人間がすべての業界で一流になることは無理であるから、各業界の一流の人間が生み出した流行を享受するのは良い刺激になる。ただ、少なくともボク自身は、流行を享受するだけの人間ではなく、何か一つ(いゃ、二つ、三つ)裏の泥臭い世界をも知り尽くした自作品を世に問う側の人間でありたい。例えばボクが人気スイーツ店に並ぶ客であるならば、同時にボクは有名ラーメン店の店主か、山ガールを虜にする天才アルピニストでありたい。

 流行を知ることよりも、生み出すことは格段に難しい。ボクが見た長蛇の列に並ぶ人々のうち、どれくらいの人が流行を生み出す(生み出そうとしている)人間であったのだろう?

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