Miscellany

残暑見舞い
(12.8.28)
 まだまだ気温30度を越える日々が続く。こんな暑い夏だからこそ、

あえての おでん、
あえての カレーうどん、
あえての キムチ鍋・ちゃんこ鍋。


 汗だくになりながら、冬の定番 を夏に食うのも、なかなか乙。ただし、やっぱり冷たいビールを添えることも忘れてはならぬ (^_^;) ちゃんこ鍋屋にあった “どんぶりビール” なるものは、豪快で美味しかったな〜。

 夏バテに注意して、スタミナつけて、残りの夏を楽しもう!



誘惑
(12.8.25)
 少し前、セミナーに参加するため、経産省の研究所(お台場)に行ってきた。



 キレー、眺めサイコー (゚◇゚ノ)

上の階からは、お台場が見渡せる。屋根にはソーラー発電。人工的だけど、こんなキレイなとこで毎日実験できたら幸せだろうなぁ。研究所までの行き帰りも楽しそう。実験終わったら、新橋あたりでちょっと一杯。なんてね。

 こんなこと考えてたら、研究に身が入らないか(笑)

 吹田といい、つくばといい、ボクには 郊外 が似合っているのかもしれない。。。


やじろべえ
(12.8.18)
 ここ最近のいじめ事件や、やれ猥褻だの、通り魔だの “くだらない” 事件を耳にするにつけ、バランス感覚の崩れた人 があまりに多いのではないかと気になる。

 いじめ問題に関していえば、いじめる側も教師も、そして取り巻きも、なぜ「これ以上やったら、ホントにまずい」という境界を見極められなかったのだろう。親や教師として叱る・叩くこと、会話の流れの中で誰かを “いじる” こと、いじめは紙一重だという。たしかに、その境界線は曖昧で、個々のケース(信頼関係とか、相手の性格とか)によっても異なる。しかし、正常のバランス感覚を持っていれば、それぞれの場合における境界線を必ずや見極められる。それができないというのは やっぱり異常だ、とボクは思う。

 問題が社会的にこれだけ大きく取り上げられると、バランス感覚の崩れた人達による奇行も出てくるだろう。現に、わけわからない大学生による大津市教育長襲撃事件も起きた。いたずらに子供の喧嘩に介入してくる親達、いわゆる モンスターペアレンツ も勢い付くだろう。こういう両極端の人達に、正常のバランス感覚をもった熱意ある教師や親達が板挟みになるとすれば、災難だ。

 バランス感覚というのは、ともすれば「中途半端、はっきりしない」ともとられ兼ねない。でも、これは違う。我々の世界は0か1ではなく、平衡で成り立っている。物事を大局的に見て、総合的に判断する能力、明確な線引のない境界線を見極める能力…特徴がなく当たり前のことかもしれないけれど、今の世の中、この「普通のこと」を普通にできる やじろべえ達 が頑張るしかない。


+1
(12.7.31)
 母親が 還暦を迎えました!!

 お花2つ(1つはプリザーブド・フラワー)という謎のプレゼントになってしまったが、喜んでくれたみたいでよかった (^o^)

 ボクが母親にプレゼントをしたのは、おそらく幼稚園の時カーネーションを渡して以来だろう(苦笑)


 もう一つ、お祝いを兼ねて家族でベイエリアのレストランへ。

 海沿いの倉庫を改装して作られたアメリカンレストランで、ビール工場が併設されている。

 この地ビールを、テラス席に座って飲む。ボクのお祝いじゃないけど、ビール好きとしては 最高 だったな〜。



 地ビールも、料理も美味しかった(下写真、飲みかけのビール…)。“コブサラダ” なるメニューがあったので、

 「何コレ!? 昆布 入ってるの?」

と言ったら、恥ずかしいから大きな声出さないで!! と母親にたしなめられた (^_^;)



 ボクが歳を重ねるってことは、当たり前だけど、周りの人達も歳を重ねるってことなんだよな。これから色々な人生の転機も来るだろう。前を向いて、互いに支え合える家族でありたいーそんなことを感じたひとときだった。


着納め
(12.7.24)


 イチロー、ヤンキースへ移籍


 今朝、衝撃のニュースを見て、研究所に着ていったTシャツ。。。


 ニューヨークに行って、新しいの 買うしかないな (^_^;)


おいどんのうどん
(12.6.25)
 うどん食いたい。というわけで、突如、うどん作り開始!

■ 用意するもの
  小麦粉、塩、水、棒(百均で購入)、麺つゆ等…あと、体力

■ 手順
1)クックパッドを見て、分量通りに小麦粉・塩・水を混ぜる。
2)よくこねる。水っぽいと、次の行程で袋に入れたとき エライ事 になる。要注意。



3)生地を丸めてビニール袋(二重)に入れ、数百回 足で踏む。足が臭い人は、袋を五重にする。その後、数時間放置。
4)生地を棒で適度に伸ばして、“うどんっぽく” 切る。くっつかないように、切った麺に小麦粉をまぶしておく。



5)西郷さんに見守られながら、山用のガスコンロで7分くらい茹でる。
6)素材本来の味を生かすよう、シンプルにいただく。



7)一口食べたら、「うまままままぃ!」 と叫ぶ。
8)全部食べたら、「次は小麦粉の量を少なくしよう。」 と反省する。


幸せを感じる幸せ
(12.6.23)
 無ければ生きていけないけれど、普段は無意識のうちに享受しているものを、よく「空気のような存在」と例えたりする。

 ヒマラヤ奥地で、標高 5,000 メートル近い場所をトレッキングした時、本気で「空気の存在」を意識した。「自分は空気を吸わないと生きていけないんだな」って。。。
 山に登って帰ってくると、他にも「屋根の下で寝られる」「風呂に入れる」など、日常生活において当たり前と思っていた些細な事に幸せを感じる。でも、いつの間にか次の不自由さを感じるまで(次の山に登るまで)、その幸せを忘れてしまう。

 色々な前提の上に立って、ボクは日々の生活を送っている。その前提を常に振り返っていては、正直、時間が足りない。逆に言えば、自分なりに上を目指すことができるのは、前提を前提として忘れていられるからなのかもしれない。
 でも、たまには この前提を振り返ることも忘れないようにしたい。いま自分が周りの人々や環境に支えられながら、ここに居られることへの感謝をきちんと表現したい。その上でさらなる高みを目指す。これが、我々の世代としてあるべき姿・責任だと思っている。

 今日も元気に研究して、飯を食って、酒が飲める。こんなことができるのも、みなさんの税金を ふんだんに 使わせてもらえてこそである。ボク自身には財力も社会的地位もないけれど、謙虚であることと、自分が担うべき立場からの逃避は異なる。どうにか社会に還元できないか。。。

 ボクなりの ノブレス・オブリージュ を考える。

-----
(注) ノブレス・オブリージュ:フランス語で「高貴な責任」という意味。つまり『財力や社会的地位をもつ人にはそれなりの責任がある』ということ。元来は、貴族に対して使われる言葉。


トイレの神様
(12.6.11)


(左)品のない カナダ土産(小粒のチョコレート菓子)、を女性陣に渡した アツロー
(右)品のない男子便所の 落書き、を写真に撮って喜ぶ アツロー

 30 歳間近のオッサン、どうも精神レベルが小学生で止まってしまったようだ。。。


経験値
(12.5.24)
 カナダの行き帰りとも、機内・空港で日本の私立高校の修学旅行生と居合わせた。
 今時は、修学旅行でカナダに行くのか…。親御さん積立するのたいへんだったろうな。こんな何百人の集団で外国に来て、何が楽しいんだろう。。。と、自分の高校の修学旅行が 京都 だったことを思い出し、ひがんでみる (^_^;)


 一つ、バンクーバー空港でオモロい事が起こった。
 ある男子生徒が、友達と空港内のどこかで待ち合わせをしていたらしい。ところが、その友達は待ち合わせ場所に現れなかった。焦った男子生徒は探し回った挙句、ようやくボクの目の前に居た友達を見つけた。

 後ろから来るなり、彼は友達の胸ぐらを掴み、ブチ切れ た。

おぃコラ、なんで、約束した場所に来ねぇんだよ。はぐれて、俺が飛行機に乗り遅れたらどう責任とってくれんだよ!呑気にハンバーガー食おうとしてる場合かょ!!」

 友達は苦笑い。ボク(←呑気にハンバーガー食おうとしていた同類)は、その男子生徒に

「コイツ、さっきまで支払い時のために、別の友達と『ダラー (dollar)』の発音練習 してたよ。」

とチクってやろうかと思ったが、ボクまで殴られそうなので止めた。

 いやぁ、高校生ってやっぱり若いな。約束を守らなかった事は友達も悪かったかもしれないが、男子生徒もそんなに怒らんでいい。空港のゲート内まで来てるのに万一乗り遅れたら、それは完全に キミの責任 である。発音練習に必死だった友人の 呑気さ (余裕) を、キミも少しは見習った方がいい。

 でも、(空港内とはいえ)異国の地で焦り、不安な気持ちを感じながら独りで行動したことは、その男子生徒にとって、ちょっぴり良い経験だったのかもしれない。いつも友達とつるんで、日本語しゃべりながら添乗員の後ろを歩いているだけなら、京都へ行くのと何も変わらんだろう。


金環日食
(12.5.21)
 みなさん、今日は「金環日食」見られましたか?ボクは、これを見るためにカナダの日程を前倒しして、帰国しました。


 ま、それはウソですが…はっきり見ることができ、素人なりに写真も撮れて満足、満足 (^o^)/

12.5.22 追記
 そーいえば、金環日食を伝える朝のニュースで、某局の司会者 が映像を見ながら、

「へぇ、月に隠れるなんて、こんなに 太陽って小さかった んだ…」

と言っていた。ヘタな比喩か、単に言葉選びを間違えただけと信じたいが。。。

 ただ、太陽 ≫ 地球 > 月の大小関係は、ここ数百年で蓄えられた観測結果に基づく知識を前提としているわけで、もしボクが平安時代に生きていたなら、何を思っただろう。そもそも、空の上で起こる変化なぞ気に留めることもなく、小倉 百人一首に夢中だったかもしれない。


Local Dishes
(12.5.21)
 カナダ滞在中の飯は、野菜が多く、味付けも口に合うものが多かった。アメリカよりもブーデーが少ないのは、この食生活にあるのではないかと思った。個人的に、ホテルでの食事ではワインしか出てこないのはきつかった。カナダ人にそれを言ったら、「私もビールの方が好き」と言ってバーに連れて行ってくれたので、助かった(笑)

 最後の日は、北米っぽくステーキハウス(The KEG という店)に行き、エビ・カニ・サーロインの盛り合わせを食べた。アメリカではステーキを食べきったことがないが、ビビって小さめのを頼んだので、適量で美味かった。



 「日本食も流行ってるぜっ」

ってカナダ人が教えてくれたのがコレ→

 ホットドックの中身が “ねぎ味噌” とか "焼きそば" とか書いてある。食べるチャンスがなかったが…いゃいゃ、これは日本食ではないぜっ。

 “Japanese BBQ 牛角” という看板も見つけた。こちらはホンモノ(!?) で、アメリカでは流行っているようだが、味はどうなんだろう?

 因みに、JAPADOG を教えてくれた野球好きカナダ人が自慢気に着ていたTシャツがコレ←←←

「鰒 NIPPON FIGHTERS」
(注)鰒は、フグまたはアワビ

意味不明 である。「フグって読むよ。」って教えてあげたら、昔 テトロドトキシン(フグ毒)の研究をしていたことがあるらしく、さらに自慢気になっていた。

 余計に彼を調子付かせてしまった (^_^;)


世界共通飲料
(12.5.19)
 アサヒビール茨城工場で「世界のビール講座」なる企画があった。ビール好きアツローとしては無視できぬ!さっそく申し込もうとしたら、すでに応募多数で締切だった (-。- ;)
 それならば、と近所の酒屋で世界のビールを買い込み、自宅で 勝手に「世界のビール講座」を開催する→→→

 ご存知の方も多いかとは思うが、ビールには大雑把に二種類ある。

 一つは エールビール で、黒っぽくコクがあり、やや甘い。

 もう一方は ラガービール(特にピルスナーが有名)で、すっきりした飲み口の黄金色のもの。詳細は省くが、発酵の仕方が違う(前者は上面発酵、後者は下面発酵)。

 日本のメジャーなビールは、ほぼ全て後者のラガービール。上写真の最前列のビンは、フクロウのロゴがかわいい茨城の地ビールだが、これはエールビール。

 行った先の国々で色々なビールを試してきたが、今回は少し特別。カナダの学生が作った 自家製ビール を飲ませてもらった。カナダでは自宅でビールを作るのも一般的だそうである(合法)。

 勝手に「世界のビール講座」をやった時にビールについて調べていたおかげで、ビール談義に花が咲いた。このビールはエールビールだそうだが、原料の調達、製法まで丁寧に教えてもらった。いつ、どんな知識が役に立つかわからないもんである。

 ただ、(味そのものを比較すると)結局のところ、

日本のビールがうまいっ

毎度、同じ結論に達するのであった(笑)


7th Heaven
(12.5.18)
 今回の学会は、バンクーバー(Vancouver)から1時間半ほど離れたウィスラー(Whistler)という地で行われた。2年前の冬季オリンピックのスキー競技の舞台ともなった、北米有数のスキーリゾートらしい(←まったく知らなかった)。アメリカともヨーロッパとも少し違う、ゆっくりした時間の流れる場所だった。あと、緯度が高いので、この時期は午後9時を過ぎても明るかった。

 ベストシーズンではないが、今でも雪が残っている。ボードやスキーを持って滑りに行く人もたくさんいたが、ボクはスキー場には行かずに参加者と会話しながら スベって いた。


 スキー以外にも、ウィスラーは湖や森などの自然が美しくて、楽しめる。ボクは、学会の合間にレンタサイクルで走ったりした。


 リゾート地だけあって、ホテルも豪華である。てっきりボクみたいな若造は、誰かとルームシェアするもんだと思っていたが、一人部屋だった。楽チンだったけど、広すぎて持て余してしまった。


  次回へつづく


Happy Mother's Day
(12.5.13)
 仕事(研究)が終わって家に帰るとき、大部分の人が

「お疲れ様です。」

と挨拶する。昼間廊下ですれ違ったときにも言う人だっている。

 ひねくれ者アツローは、この挨拶があまり好きじゃない。「お疲れ様です」と言われるとつい、

「いゃ、別にそんなに疲れてないし…」 (←たまに本当に疲れているが。)

と思ってしまう。あくまで決まり文句の一つであるのは承知しているのだが、どうも他の挨拶(おはよう、こんにちは、ではまた、など)には感じない違和感を覚えてしまう。これは何に起因するのだろう?

 一つは、この言葉の 距離感
 家族・親しい人に「お疲れ様です」と挨拶することは、まずないだろう。つまり、この言葉はあくまで仕事上の挨拶である。だから、ボクは仕事(研究)上で接する人であっても、信頼関係を築いている人にこの「形式的な挨拶」を投げかけたくはないのである。あえて距離感を見せたい時には、有用かもしれない(苦笑)

 もう一つは、この言葉の 意味
 家族・親しい人に「おつかれさま」と言うことがあるとすれば、それは何かをやり遂げてきた相手に対し、感謝・感銘を表して贈る言葉。同じ音の言葉を無味乾燥な挨拶として頻用するのは、ボクはやはり少し抵抗を感じるのだ。

 ここではあえて「お疲れ様」「おつかれさま」を区別した。ひらがなで書いた方が、言葉になんとなく温かみを感じると思いません!?

 今ここバンクーバー、カナダは13日(日)、母の日

 例年通り、何のプレゼントも渡さなかった罰当たりな息子だが、(ボクの事を含め)色々な人の心に気を配ってくれる母親には感謝している。

いつも、おつかれさま。

まだまだこれからも、強くあってくれないと困るぜよ!


  Contents  

Top Profile Science Mountains Miscellany BBS Links

Copyright (c) 2004 Migrants@GALAXY All rights reserved Since 04.10.1
Last modified 12.8.18