Miscellany

サンタより地球防衛軍
(12.12.25)
 てっきり地球が滅びてしまうのかと思っていたが、何も起こらなかったので、今こうしてウェブページを更新できている。

たぶん この方達 が地球を守ってくれたのだと思う→
(つくばエクスプレス内に突如登場した、なぞの集団)


長らくご無沙汰して、申し訳ない m(_ _)m

 本ページの更新をサボっている間、特段に忙しかったわけでもないが(いつも忙しいといえば忙しい)、 “流せる” 作業 が少なかった。まだその状態が終わったわけではないので、しばらくは思考モードを継続。

 今年も残すところ一週間。みなさま、どんな一年だったでしょうか?良いお年をお迎えください。




黄葉狩り
(12.11.23)
 先日、つくば科学万博記念公園と、近くの研究所に行った。美しい ギンコー並木 !! もう落ちかけだったが、逆に落ちた葉っぱが黄色い絨毯のようになっていて、よかった。


 この絨毯に寝転がって、しばし鑑賞でも…とはいかないくらい、銀杏くっせー

 幼稚園の頃、東大駒場キャンパスの銀杏並木を鼻をつまみながら通っていたのを思い出した。それがトラウマとなり、ボクはいまだに茶碗蒸しの銀杏を避けて食べている (^_^;)


仙台
(12.11.23)
 山形への旅から1ヶ月もしないうちに、今度は別の事情で東北・仙台へ。大変お世話になった先生とのお別れ。こういう形で、初めて仙台を訪れることになるとは、正直思っていなかった。杜の都、仙台はその名の通り緑が多く、気品のあるいい街だった。
 関係ないが、牛タン(たぶんアメリカ産)の人気っぷりを見て、街の名物を売り出すことが莫大な利益を生むことがよくわかった。仙台に関係ないやん…と思いつつも、たしかに美味かった。あと、関東から電車で東北に行くなら、ウィークエンドパスがお得!!


 ついでに松島も(仙台から電車で30分)。ボクの世話になった先生も、松島が大好きだったという。同じ風景を見てたのかな…ちょうど紅葉の時期で、特に松島の円通院のライトアップはかなり綺麗だった。


 ある時、その先生から次のような事を言われたことがある。

「私がいつも言う最初のチェックポイントは35歳ですので、あせらずにしっかりと一歩ずつ前に進んでください。迷ったことがあったら、その中で一番良いと思ったことを一生懸命やってください。そうすれば答えが返ってきます。でも一生懸命やらないとダメです。なにせ見ているのはいつも自分ですから、ごまかしは利きません。」

 ボクのような若造にも一研究者として親しく、厳しく接してくださる先生だった。ボクの35歳のチェックポイントに立ち会っていただけないのは残念だが、どこかで見て下さっているだろうから、今一度気を引き締めて頑張らないとアカンな。切なくも、気持ちを新たにすることのできた仙台訪問であった。


東北の旅へ行く
(12.11.23)
 おやじプレゼンツ、約 15 年ぶりの家族旅行。
 10月初旬、千葉からつくばを経由し、山形へ車の旅。「山形まで車で行くのは遠すぎだろっ」と思ったが、オヤジは車の方がいいと言う。結局、ボクが運転したのは全行程のうち2時間弱、あとはオヤジが運転。。。ボクはただ、助手席に座っていた (^_^;)

<初日>
 つくばを出発し、常磐自動車道・東北自動車道を経由し、ひたすら北上。渋滞もなく順調に進み、昼前に米沢に到着。お昼は、名物 米沢ラーメン を食べた(右写真)。煮干しベースの醤油ラーメンで、平凡だがおいしかった。その後、天元台高原のロープウェイに乗った。ここは百名山、西吾妻山の登山口にもなっている名所だが、残念ながら紅葉にはまだ早く、天気もあまり良くなかった。。。

 その後、米沢市内へ。城下町らしい凛とした雰囲気の漂う、いい場所だった。上杉神社には、上杉謙信や鷹山公の像や、かの名言も。


 米沢からさらに北上し、この日の宿、赤湯温泉 へ。
 温泉も、部屋での食事も、宿の方達の気遣いもかなり満足だった。経費に差は出ないところで客に対して気遣いができるかどうかで、宿の価値(印象)は大きく変わるもんだな、と感じた。

 家族と一緒に酒も飲んで、心地よい気分で早めに就寝。

<2日目>
 朝食後、宿を出発し再び北上。この日最初の目的地は、出羽三山の一つ、羽黒山 。天気に恵まれ、残りの出羽三山(月山・湯殿山)も見えて、非常に美しかった。
 羽黒山の麓から、山頂の出羽(いでは)神社を目指す。この旅で行くまで全く知らなかったが、羽黒山は荘厳な雰囲気があって、圧倒される場所だった(←ミシュランガイドにも掲載され、パワースポットとして人気らしい)。


 麓から山頂までは、約1時間階段を登り続けなければならないので、そこそこしんどいが歩く価値は十分にあるように思う。特に、五重塔(国宝)は、しばし見とれるほどの迫力があった。


 山頂の社殿も立派であった。現存のものは約 200 年前に建てられたものようだが、よくこれだけのものをそんな昔に建てたものだと感心する。

 お昼のお弁当を食べた後、下山。オヤジが麓から車で山頂まで先回りしてくれていたので、帰りは車でそのまま次なる目的地、鶴岡市へ。
 鶴岡市は、庄内藩の城跡(鶴岡公園)を中心に、昔の趣を残す歴史ある街。何人もの著名人を生み出している。博物館で高山樗牛の『吾人は須らく現代を超越せざるべからず』という言葉を見て、中学校の担任教諭がよく言っていたな、と思い出した。
 また『蝉しぐれ』『たそがれ清兵衛』などの小説で有名な藤沢周平の生まれ育った街でもある。ボクも一時期読み漁ったことがあるが、母親たっての希望で、鶴岡公園内にある藤沢周平記念館に行った。
 非常によく整理されていて、藤沢周平の小説を読んだことがある人なら、楽しめる。もう一回、蝉しぐれ読み直してみよかな…。とある展示に「市井 の人々の暮らしぶり」という項目があった。近くにいた初老の婦人が、
婦人 「ねぇ、しい のひとびと』ってどういう意味?」
夫 「しい しせいって読むんだよ。庶民ってこと。」

と小声でたしなめられている会話が丸聞こえだった。旅の恥は…、かき捨てさせません (^_^;)

 さて、この日のお宿はあつみ温泉の老舗旅館。設備は古く、前日の旅館と比較してしまうとやや見劣りする感じはあったが、料理はとても美味しく満足だった。山形は牛だけでなく、豚も旨い!


<3日目>
 宿を出て、さらに北上、酒田市へ。豪商・本間家の旧本邸や、ケヤキ並木が美しい山居倉庫、映画『おくりびと』ロケ地近くの日和山公園などを見て回った。山居倉庫では、なぜか大量の幼稚園児に囲まれてしまった。


 千葉・つくばからの山形の日本海側まで来た旅もこれで終了。途中、山形名物の蕎麦をいただいて、帰路についた。冒頭に書いた通り、旅の計画・車の運転はほぼオヤジ任せ。ありがとうございました。楽しい東北の旅でした。



衝撃波
(12.11.13)
 あまり間食はしないボクが、何気なしに買ったチョコボールの新商品 →→→

 なかなかの衝撃 !!

 裏の成分表を見ると、炭酸ガス とある。あの“パチパチ感”は、チョコ内側のキャンディーの気泡がミソ。きっと、圧縮された炭酸ガス(と空気 !?)が閉じ込めてあって、小さな破裂が起こっているのだろう。はて、どうやって作るのだろう?…低温でガスを入れておいて、常温に戻すのか ??

 何はともあれ、興味ある方は、ぜひお試しあれ。


山を飛び、谷を越え
(12.11.5)
 ある秋晴れの日、筑波山が間近に見えるつくば北部の街で、筑波大生が開発したという「マイスクリーム」を食べる。甘すぎず、もちっとしていて、なかなか美味。あ〜なんと長閑な場所…だけど未だに5月の竜巻の爪痕が残っていた。



 つくば道(日本の道百選)の側溝の蓋には、左下写真のような文字が書かれている。それに沿ってずーっと行くと、ある看板に辿り着いた。


 うん、たしかに 茨の道 である。


素材を活かす
(12.10.22)
 世界三大料理といえば、フレンチ中華、そして トルコ料理 。フレンチ、中華は日本でも人気があるし、たしかに美味しいので、認めてやろう(←上からアツロー)。しかし、3番目の伏兵は馴染みが薄く、しっくりこなかった。

 百聞は一食にしかず、トルコ料理レストランへ行ってみる↓↓↓

山羊のチーズ入りサラダ、豆のトマトソース煮込み、ケバブ。“ラク” というアニシード(インド料理屋のレジ横に置いてあるお口直し)の香りのする蒸留酒も飲んでみた。

 うーん、イマイチ。

が正直な感想。

 百聞によると、トルコはオスマントルコの繁栄が物語るように、アジアとヨーロッパをつなぐ要衝であった。従って、トルコ料理は食材・調理法が多様であるとのこと。日本料理はどちらかと素材勝負というところがあるから…と「日本料理 < トルコ料理、仏、中」の理由が述べられている。日本では着飾ったオシャレな人よりも、素顔が美しい人が良しとされるのに対し、世界では個性的な服に身を包んだ多様性が評価される…こういうことだろう。(← たぶん違う)

 ま、この際うまけりゃ何でもいいが、ボクはやっぱり 薄化粧の美人 がいいな。というわけで、次は 色白の美人を求めて アツロー、東北の旅へ行く の巻。


街づくり
(12.10.18)
 某シンクタンクが都道府県別「魅力度」ランキングを発表したという。どれどれ、トップ3は北海道、京都、沖縄か。まぁ、そうなるだろうね。。。

茨城県:46位 (´Д`) ← 因みに、昨年は47位(ビリ)

おぃおぃ、アツローのウェブページを読んでから、順位を付け直したまえ!!たしかに、茨城県は所謂「観光地」は少なめだけど、その中で魅力を見つけ出すこと、楽しむことは、たくさんできるんだけどな…。

 真面目な話、つくばの街作りはなかなかうまいな、と思って注目している。景観の作り方、街のシンボルの設定と宣伝、それらに関連するイベント…大金持ちはいないが、つくばという土地柄に見合った街作りの戦略を立てていると思う。

 一方、ボクの実家がある千葉県の某街は、いったいどうしちゃったんだろう!? 帰省したときに家の近所をウロウロして、ボクは大いに失望した。大手スーパーが撤退し、駅前はガラガラ、ナンセンスな激安服屋やゲームセンターができたりして、品がない。住民の一般水準を考えれば、これは街として店の誘致・調和をはかる事に明らかに失敗している。このままではイカンだろ、我がふるさと…

 しかも、千葉県は茨城県の低迷ぶりとは異なり、20位と そこそこ いい位置に付けたのに、それは千葉県じゃなくて ディズニーランド県 でしょ、などと揶揄されるのは何とも悔しい。

 というわけで、最近は少し「街作りとは何ぞや?」「誰が、どのように指揮を執ったら街を動かせるのか?」ということに興味を持っている。我がふるさとを救いたい。誰か見識のある読者の方、今度ボクと話しましょう。それ以外の読者の方、アツローが 政治家に立候補 した日にゃ、一人に付き一万円差し上げますので、どうか清き一票をよろしくお願いいたします (^_^;)


YESーNO 枕の使い方
(12.10.13)
 英語の YesNo は、時として日本語の はいいいえ と逆の意味になるというのは、中学校の英語の授業で口酸っぱく注意される話だ。たとえば、

 "We won't have a group meeting tomorrow, right?"
 「明日って、報告会ないよね?」


と聞かれたとする。「はい、ないです」と言いたければ、英語では No と答えなければいけない。なかなか慣れるのは難しいが、誤解されることのないように、ボクなりに実践練習してきた。

 ところが、このような言い回しに悩まされるのは日本人だけではなく、中国人 も同じようだ。そして、(少なくとも周りの中国人留学生は)“日本風に” YesNo を使う。

 なまじ本来の英語の言い回しを練習してきたボクにとっては、これがさらに混乱を引き起こす (^_^;)
「YES って、どーいう意味? Yes?、それとも イエス??

こう聞き返して、相手をも混乱させる。会話が途切れる。あ〜、困った、困った。


温故知新
(12.9.16)
 「つくばは、時代の最先端をゆく サイエンスシティー であると同時に、古代の歴史 が残る街である。」

というような事を、テレ東の「アド街天国」で言っていた (^_^;)

 一体、どういうことか?

 それは、こういうことである↓↓↓


 つくば郊外を走っていると、だだっ広い公園がある。何もな… ん!? と思ってよく見てみると、

 縄文時代の竪穴式住居、出現 (・o・)

 もちろん、これ自体は復元模型であるが、この地は比較的大規模な貝塚や土器、住居跡が出土した遺跡らしい。竪穴式住居の中に入ることもできる。

 「如何に世の中を変える研究をするか?」と最先端のことを考えていても(←ホントか!?)、数時間後には竪穴式住居の中に入り、数千年前に生きた縄文人に想いを馳せることができる(笑)つくばは面白い!


  Contents  

Top Profile Science Mountains Miscellany BBS Links

Copyright (c) 2004 Migrants@GALAXY All rights reserved Since 04.10.1
Last modified 12.12.25