>3/9 (Wed) なんちゃって高山病
■ 行程Samiti Lake(4:15)→ Goecha La(8:50)→ Samiti Lake(12:05)→ Thangsing(14:10)→ Kokthurong(17:00)

朝4時起床し、いよいよゲーチャ・ラ(Goecha La、4940 m)に向けて歩き出す。
初めの一時間はヘッドライトをつけ、闇の中を進んだ。太陽の光が射し始めると、赤く染まった山々が浮かび上がってきた。

(左)静かに、どっしりと構えている。
(右)Tufan(ガイド)とオヤジ(ポーター)

途中までは順調だったが、徐々に高山病の症状が出てきた。頭がボーっとし、呼吸が苦しくてぶっ倒れるんじゃないかという瞬間が何度かあった。
でも、ここまで来てあきらめるわけにはいかない。少しずつ、少しずつ、脆い斜面を登り、一瞬ふらついて落ちかけながらも歩き、前へ進んだ。

ゲーチャ・ラが見えてきた!先に着いたニュージーランド人達のパーティーの面々が、僕の方を無言で見ていた。「もうちょっとだ。」ー頭の痛みや息苦しさは、ゲーチャ・ラが見えてから、すっかり忘れていた。
遂に僕がその地に足を踏み入れると、ヴィヴェック(ニュージーランド人らのパーティーのガイド)が、“You made it!!”と言って出迎えてくれた。

僕は思わずガッツポーズして“ウォー”と叫び、ヴィヴェックと抱き合った。ニュージーランド人達も“Well done!”と言って、一緒に喜んでくれた。
とにかく、着いたこと自体にこれほどの喜びと達成感を覚えたのは初めてだった。俺は5000 m近いゲーチャ・ラに来たんだ!

しばらくして、カズ・コメ・オヤジ(ポーター)も到着した。ガイドは、なんと体調不良によりサミティ湖に引き返してしまったらしい。ガイドなのに情けねぇなあ…と思いかけたが、20回以上ゲーチャ・ラに来たことのある彼でさえそうなるというということは、我々は本当にラッキーだったなぁと思い直した。

ゲーチャ・ラでは雲がかかっていたが、カンチェンジュンガ(世界第三位;8598m)が今までになく、目前に迫って見えた。

(左)こんな寒い所で上半身裸になってはしゃぐ、バカなニュージーランド人
(右)それに刺激されて真似しちゃった、もっとバカな日本人(と冷静なオヤジ)



←まだ懲りていない(笑)
(左から)ヴィヴェック・コメ・私

(左)みんなで集合写真。まだまだ懲りていない人が一名。僕は気圧が低いからか(?)顔がパンパンに張っている(笑)
(右)日本人二人で。写真に収まりきっていない後方の山がカンチェンジュンガ。


名残惜しかったが、ゲーチャ・ラを後にする時間となった。この日はサミティ湖に戻り、さらに一気に下ってコクチュラン(Kokthurong)まで行かなければならなかったのだ。

この帰りが大変だった(><@)目的を達成して気が抜け、忘れていた高山病が再び出始め、心臓の鼓動と共に頭がガンガンした。
途中からニュージーランド人達はスタスタと先へ行ってしまうし、カズやコメは僕より遅く、ペースを合わせるのも余計にしんどかったので、一人で歩いた。
後にも先にも人は見えず静まりかえり、僕の足音だけが響いた。まるで広い地球の中に、独り取り残されたような錯覚に陥った。

この一人の時間がどれくらい続いただろう?なかなかサミティ湖の小屋が見えて来ず、頭は割れるようで辛かった時、救世主が現れた!バルコメ(14歳のポーター)である(左写真)。

サミティ湖で待機していたバルコメは、我々の帰りを案じ、紅茶を持って迎えに来てくれたのだ。彼もオヤジ(もう一人のポーター)同様、英語は通じないので、何を言ってるかよくわからなかったけど、普段は口数の少ない彼が一生懸命話してくれて嬉しかった。甘めの紅茶も格別においしく感じた。
バルコメに元気をもらってひとまずサミティ湖に着いたが、頭痛は激しく、倒れ込んだ。
接吻ヤロー達が心配して、ケーキや飲み物を持って来てくれたり、色々と気を遣ってくれた。ゲーチャ・ラでも一緒に喜びあえたし、昨日のトランプゲームは腹立たしかったけど、なかなかいい奴らじゃねえか…なんて思ったりもした。

(左)ノックアウト(サミティ湖にて)。
(右)足取り重く…

結局、昼飯も喉を通らなかったが、サミティ湖を出発し高度を下げていくと、みるみるうちに頭痛が治っていき、一昨日のサイト地タンシン(Thangsing、3840 m)に着く頃には、すっかり元通りになった。わずか7,8時間ほどの“なんちゃって高山病”であった。
タンシンで、そこに住む仙人みたいな人の小屋に行き、休憩した。チョコボ(コック)やヴィヴェック(別パーティーのガイド)は振る舞われた酒を飲んでいた。

17時頃コクチュランに到着、朝4時過ぎからの長い山行が終わった。
疲れはしたが、自然の大きさを感じ、またその中を自分の足で歩いて、ゲーチャ・ラに到達できたという何にも代え難い喜びを感じた、忘れ得ぬ一日となった。