山行ではないが、学園祭による休みを利用して、九州チャリ合宿に行ってきた。奄美大島・沖縄を除くと、九州に上陸したのは、これが初めてだった。
<ルート>
- 11/3; 部室→大阪南港→(フェリー)
- 11/4; (フェリー)→新門司港→中津→耶馬渓(風水園)
- 11/5; 耶馬渓→豊後中川(←→天ヶ瀬温泉)→カウベルランドくす
- 11/6; カウベルランドくす→由布院→志高湖キャンプ場
- 11/7; 志高湖キャンプ場→別府→(フェリー)
- 11/8; (フェリー)→大阪南港→部室
<合宿記録>
これが僕が旅した自転車だ!
Louis Garneau(ルイガノ)の10万円くらいする自転車で、ワンゲルの仲間から貸してもらった。今までに乗ったこともないような高価なものだったので、扱いにはかなり気を遣った。
この合宿は、なかなかハードなスケジュールであり、おまけに僕はチャリ合宿に参加するのは初めて、さらに借りた自転車ということも重なって、当初はやや不安な気持ちを持って合宿に臨んだのだった。
まあ、何とか無事に大きな故障もなく走り切ることができ、楽しい、楽しい合宿となった(^g^)
では、その行程を紹介しよう。
まずは11月3日、豊中の部室から大阪南港までの道のりだ。輪行(自転車を解体して、交通機関を使って運ぶこと)すると、解体時などに傷つけやすいし、キャリアバッグに入れて持ち運びするのも結構しんどいということで、3時間半かけて走った。
フェリーは、きれいだったし、ラッキーなことに我々10人で一部屋を貸し切りにしてくれたので、快適だった。
翌日(4日)5:40、新門司港に到着して、さっそく中津方面へ向けて国道10号線を南下し始めた。
中津に着いて、中津城に寄った。僕としては福沢諭吉旧居にも行きたかったが、この日は70 kmを越える行程で、先を急がねばならなかったので諦めた。
中津から国道212号線に入り、サイト地である耶馬渓(風水園)を目指した。耶馬渓は山国川沿岸に広がる渓谷で、この中を自転車で走るのは爽快だった。途中、“青の洞門”と“羅漢寺”に行った。
(左)青の洞門。菊池寛の小説『恩讐の彼方に』の舞台となったところで、紆余曲折を経て諸国遍歴の旅に出た禅海が、単身で掘ったという実話に基づく。確かに鑿(ノミ)で削った跡がたくさんあった。
(右)全国羅漢の本山で、写真の通り、かなりの数の石仏があって圧倒された。
5日は耶馬渓を出発し、日田を通って、国道210号線を東に向かった。豊後中川から少し南に下り、天ヶ瀬温泉に行った。この天ヶ瀬温泉には、(もちろん内湯もあるのだが…)川辺に露天風呂が点在しており、それは露天風呂というよりはむしろ露出風呂である。
右写真がその“露出風呂”で、奥の橋の上から丸見えだった。
我々は果敢にもこの風呂に入って、ステーションビバーク(駅寝)してる時よりも冷たい、おばちゃん軍団やカップルの視線を浴びた(☆。☆)
何はともあれ天ヶ瀬温泉で汗を流しスッキリできたのだが、実はこの後サイト地の“カウベルランドくす”までが悲惨な登りで、汗だくになり温泉に入った意味もなくなってしまった。
“カウベルランドくす”はシーズンオフということもあって閑散としていたが、整備されたきれいなキャンプ場だった。でも牛はいなくて、牛肉の販売だけしていた(笑)
次の日(6日)は、前日の苦しい山登りの分だけ一気に下り、由布院へと向かった。金鱗湖を見物した後、ほとりに“下ん湯”という怪しげな名の温泉(200円)があったので、みなで入った。
すると天ヶ瀬温泉同様、ここも金鱗湖の観光客から丸見えで、哀れなメンバーは観光客に写メールで撮られていた(・〇・;)
その後、由布院からさらに東へ、別府手前の志高湖キャンプ場を目指した。
由布院には由布岳という1583 mの山があったが、かなり存在感のある山で美しかった。その麓のドライブウェイからの眺めも非常にきれいだった(その景色に見とれてよそ見してたドライバーがガードレールに激突して、警察が出動していたくらい…)。
※由布岳の写真を取り損なってしまったのが、とても残念です。すみません<(_ _)>
天ヶ瀬温泉近くにある桜滝 由布院手前にある竜門の滝
←日田にあった、変な看板。角度が悪く見えにくいが、トンカツ屋の看板で「ちょっと一息入れて安全運転を!!とん喝★」とドライバーを叱咤激励してくれている。
最終日(7日)は、別府市内までの30 km程度の下りを走るだけであった。別府では、別府出身のワンゲルOBがたまたま友人の結婚式に出席するとかで帰省していて、思わぬ合流を果たした。
地獄温泉巡り:(左)坊主地獄、泥の下から温泉が湧いて、泥が坊主頭のような形になる。
(中央)鬼山地獄、大量のワニが水槽にうごめき、これはもしやワニにとっての地獄?と思った。
(右)血の池地獄、ホントに血の色していた。
別府温泉に入って(今度は比較的まともな所)、打ち上げした後、その日の夜のフェリーで大阪に戻った。合宿が終わって、よく鏡を見ると、サングラスをずっとかけていたため、目元以外が日焼けしてタヌキみたいになっていることに気付いた(O_O)
露天風呂や走行距離200 kmを越える行程など、オッチェンパーティーでしかできない合宿で、いい思い出となった。
※湯布院と由布院の違いについて
湯布院と由布院どちらが正しいのかなあと思って調べたところ、由布院町が昭和30年に湯平村と合併して湯布院という表記も出てきたみたいです。街全体を指す時は湯布院という字を使うことが多いようですが、由布岳・由布院駅など、街中では由布院という表記をたくさん見かけた気がします。