Mountains

クロカンレース
(04.12.12)
ワンゲル恒例のクロカンレースが行われた。クロカンレースとは、要は山の中でのマラソン大会である。朝6時に叡福寺をスタートして、ダイヤモンドトレールと呼ばれるルートを紀見峠まで、およそ35kmのコースを走った。
「何をバカなことをやってんだ…」と思う人もいるだろう。実際かなり無謀なレースで、4日後の今でも足が痛い(昨日までは、階段の上り下りも儘ならなかった)。こんなにも筋肉痛になったのは、致命的なミスを犯して40km以上の道のりを走るはめになったからでもあるのだが…

僕は、スタートしてからレース中盤の金剛山まで4位をキープし、入賞が狙える位置につけていた。そして金剛山山頂から少し下った、伏見峠のチェックポイントでOBさんの用意してくれたお菓子を食べて、早々に次のチェックポイントである行者峠へ向けて出発した。
行者峠までの道のりは、ひたすら下り、下り、下り…ん?どうもおかしい、こんなわけない。
「よし、地図を見よう。あ、ザックの中だ。出すの面倒だな、取り出したりしてる間に追いつかれたら嫌だし。ま、大丈夫だろ。」

…大丈夫じゃなかった。僕はなんと、コースを外れ下山してしまったのである。ようやく地図を取り出し、読図をするも、時すでに遅し。僕は分岐を見逃して、とんでもない所に来てしまっていたのだ。この時点で、上位入賞は完全に消え、一気に戦意喪失した。しかし、お家に帰るためにはゴールに辿り着かなくてはならない(涙)僕は来た道を再び登り始めた。レース後半は、体力というよりはむしろ気力で走っているようなものだったから、戦意喪失した僕にとっては一歩一歩が重かった。
その後は、チェックポイントを通らずに、藪の中を激走して下山しちゃったお馬鹿さんと戦意喪失組を結成して、お互いを慰め合いながらゴールまでどうにか到着した。人より6,7kmは多く走ったのに、結局21位に沈んだ。(_ _。)/~~

来年はOBとして、このレースのサポートにまわるはずだったが、あまりの悔しさに出場表明をしてしまった。来年10月頃から走り込みしないとな…。あと疾走しながらの読図も。

秋合宿
(04.11.3〜04.11.8)
山行ではないが、学園祭による休みを利用して、九州チャリ合宿に行ってきた。奄美大島・沖縄を除くと、九州に上陸したのは、これが初めてだった。

<ルート>
  • 11/3; 部室→大阪南港→(フェリー)
  • 11/4; (フェリー)→新門司港→中津→耶馬渓(風水園)
  • 11/5; 耶馬渓→豊後中川(←→天ヶ瀬温泉)→カウベルランドくす
  • 11/6; カウベルランドくす→由布院→志高湖キャンプ場
  • 11/7; 志高湖キャンプ場→別府→(フェリー)
  • 11/8; (フェリー)→大阪南港→部室

<合宿記録>
これが僕が旅した自転車だ!
Louis Garneau(ルイガノ)の10万円くらいする自転車で、ワンゲルの仲間から貸してもらった。今までに乗ったこともないような高価なものだったので、扱いにはかなり気を遣った。
この合宿は、なかなかハードなスケジュールであり、おまけに僕はチャリ合宿に参加するのは初めて、さらに借りた自転車ということも重なって、当初はやや不安な気持ちを持って合宿に臨んだのだった。
まあ、何とか無事に大きな故障もなく走り切ることができ、楽しい、楽しい合宿となった(^g^)

では、その行程を紹介しよう。

まずは11月3日、豊中の部室から大阪南港までの道のりだ。輪行(自転車を解体して、交通機関を使って運ぶこと)すると、解体時などに傷つけやすいし、キャリアバッグに入れて持ち運びするのも結構しんどいということで、3時間半かけて走った。
フェリーは、きれいだったし、ラッキーなことに我々10人で一部屋を貸し切りにしてくれたので、快適だった。

翌日(4日)5:40、新門司港に到着して、さっそく中津方面へ向けて国道10号線を南下し始めた。
中津に着いて、中津城に寄った。僕としては福沢諭吉旧居にも行きたかったが、この日は70 kmを越える行程で、先を急がねばならなかったので諦めた。
中津から国道212号線に入り、サイト地である耶馬渓(風水園)を目指した。耶馬渓は山国川沿岸に広がる渓谷で、この中を自転車で走るのは爽快だった。途中、“青の洞門”と“羅漢寺”に行った。
(左)青の洞門。菊池寛の小説『恩讐の彼方に』の舞台となったところで、紆余曲折を経て諸国遍歴の旅に出た禅海が、単身で掘ったという実話に基づく。確かに鑿(ノミ)で削った跡がたくさんあった。
(右)全国羅漢の本山で、写真の通り、かなりの数の石仏があって圧倒された。

5日は耶馬渓を出発し、日田を通って、国道210号線を東に向かった。豊後中川から少し南に下り、天ヶ瀬温泉に行った。この天ヶ瀬温泉には、(もちろん内湯もあるのだが…)川辺に露天風呂が点在しており、それは露天風呂というよりはむしろ露出風呂である。

右写真がその“露出風呂”で、奥の橋の上から丸見えだった。
我々は果敢にもこの風呂に入って、ステーションビバーク(駅寝)してる時よりも冷たい、おばちゃん軍団やカップルの視線を浴びた(☆。☆)
何はともあれ天ヶ瀬温泉で汗を流しスッキリできたのだが、実はこの後サイト地の“カウベルランドくす”までが悲惨な登りで、汗だくになり温泉に入った意味もなくなってしまった。
“カウベルランドくす”はシーズンオフということもあって閑散としていたが、整備されたきれいなキャンプ場だった。でも牛はいなくて、牛肉の販売だけしていた(笑)

次の日(6日)は、前日の苦しい山登りの分だけ一気に下り、由布院へと向かった。金鱗湖を見物した後、ほとりに“下ん湯”という怪しげな名の温泉(200円)があったので、みなで入った。
すると天ヶ瀬温泉同様、ここも金鱗湖の観光客から丸見えで、哀れなメンバーは観光客に写メールで撮られていた(・〇・;)

その後、由布院からさらに東へ、別府手前の志高湖キャンプ場を目指した。
由布院には由布岳という1583 mの山があったが、かなり存在感のある山で美しかった。その麓のドライブウェイからの眺めも非常にきれいだった(その景色に見とれてよそ見してたドライバーがガードレールに激突して、警察が出動していたくらい…)。
※由布岳の写真を取り損なってしまったのが、とても残念です。すみません<(_ _)>


     天ヶ瀬温泉近くにある桜滝            由布院手前にある竜門の滝

←日田にあった、変な看板。角度が悪く見えにくいが、トンカツ屋の看板で「ちょっと一息入れて安全運転を!!とん喝★」とドライバーを叱咤激励してくれている。
最終日(7日)は、別府市内までの30 km程度の下りを走るだけであった。別府では、別府出身のワンゲルOBがたまたま友人の結婚式に出席するとかで帰省していて、思わぬ合流を果たした。
地獄温泉巡り:(左)坊主地獄、泥の下から温泉が湧いて、泥が坊主頭のような形になる。
(中央)鬼山地獄、大量のワニが水槽にうごめき、これはもしやワニにとっての地獄?と思った。
(右)血の池地獄、ホントに血の色していた。

別府温泉に入って(今度は比較的まともな所)、打ち上げした後、その日の夜のフェリーで大阪に戻った。合宿が終わって、よく鏡を見ると、サングラスをずっとかけていたため、目元以外が日焼けしてタヌキみたいになっていることに気付いた(O_O)

露天風呂や走行距離200 kmを越える行程など、オッチェンパーティーでしかできない合宿で、いい思い出となった。

※湯布院と由布院の違いについて
湯布院と由布院どちらが正しいのかなあと思って調べたところ、由布院町が昭和30年に湯平村と合併して湯布院という表記も出てきたみたいです。街全体を指す時は湯布院という字を使うことが多いようですが、由布岳・由布院駅など、街中では由布院という表記をたくさん見かけた気がします。


山小屋W
(04.10.16〜04.10.17)
6度目の比良山に行ってきた。今回は、阪大ワンゲルが所有する暮雪山荘の修繕を兼ねての合宿だ。
3パーティーで行ったが、僕らは山行パーティーだったので、修繕パーティーがクレオソートを必死に塗っている間、武奈ヶ岳から琵琶湖を見下ろし、のんびりとすることができた\(^^)/
今回は2日間とも快晴で、低山なりの魅力を十分に味わうことができ、楽しい合宿であった。

右写真は暮雪山荘を修繕する部員。暮雪山荘は20thの方々が材木を運んで作った山小屋。手作りにしてはかなり立派で、こうして一年に一回は大規模なメンテナンスをしている。



白峰三山縦走
(04.9.13〜04.9.17)
今夏最後の合宿として、南アルプスの白峰三山に行った。白峰三山とは、富士山に次ぐ標高第二位の北岳(3193m)、第四位の間ノ岳(3189m)、第十五位の農鳥岳(3026m)を指し、いずれも3000mを越える南アルプスの代表格だ。

<ルート>
  • 9/13; (夜行バス)→甲府→広河原
  • 9/14; 広河原→肩ノ小屋
  • 9/15; 肩ノ小屋→北岳→間ノ岳→農鳥小屋
  • 9/16; 農鳥小屋→西農鳥岳→農鳥岳→大門沢小屋
  • 9/17; 大門沢小屋→奈良田


→御来光と雲海から顔を出す富士山。富士山は日本一の貫禄と美しさがあった。
<山行記録>
広河原を出発して2時間後くらいから、肩ノ小屋まで強風と雨にやられた。しかし、合宿を通して雨が降ったのはこの時だけで、肩ノ小屋でしばらく休んでいるうちに晴れてきた。
夕方には“ブロッケン現象”が見られた。これは、太陽光が背後から射し、自分の前方にある雲に影が映るというものだ。自分の影は本人にしか見えず、また影を虹が囲んでいて、とても幻想的であった。(残念ながら、うまく写真におさめることはできなかった…)

翌日は雲一つない青空の下で北岳・間ノ岳を制覇し、最高の気分だった。
左が北岳山頂のプレート。3192mとなっているが、04年10月に1m上方修正されたので、近く書き換えられるだろう。右はそのプレートの前で、部員と記念撮影。

左は間ノ岳方面から見た、北岳の全容。中央は北岳山荘に物資の運搬に来たヘリコプター。因みにヘリコプターの料金は60万円/hなり。右は間ノ岳山頂のプレート。

さて、次の日(16日)も、また次の日(17日)も快晴で、笑いが止まらなかった。終始、富士山が美しく見えていた。また夜には、下界では絶対に見られないくらいの無数の星が輝いていた。

そんなわけで天気に恵まれ、さらにメンバーが最強のオッチェン揃いだったので、コースタイムを切りまくる快調な山行で、夏山の締めくくりにふさわしい、充実した合宿となった\(^o^ )




夏合宿
(04.8.25〜04.9.3)
白馬三山縦走に続いて、北アルプスの裏銀座コースを縦走した。裏銀座ルートとは、登山者なら誰もが一度は憧れるであろう槍ヶ岳(3180m)や、下界から一番遠い百名山とも云われる水晶岳(別名黒岳、2977m)などを含む定番コースだ。

<ルート>
  • 8/26; (夜行バス)→上高地
  • 8/27; 上高地→槍沢ロッジキャンプ場
  • 8/28; 槍沢ロッジキャンプ場→槍ヶ岳山荘←→槍ヶ岳
  • 8/29; 槍ヶ岳山荘→三俣山荘
  • 8/30; 休養日(三俣山荘)
  • 8/31; 台風のため、停滞日(三俣山荘)
  • 9/1; 三俣山荘←→水晶岳、鷲羽岳
  • 9/2; 三俣山荘→三俣蓮華岳→双六小屋
  • 9/3; 双六小屋→新穂高温泉

<山行記録>
一年ぶりに訪れた、入山地点の上高地は、相も変わらず観光客で賑わっていた。上高地からは山を登らずとも焼岳や穂高連峰を望めるので、なかなかの景色だ。

槍ヶ岳までは、ひたすら谷沿いの道を登って行った。槍ヶ岳山荘に到着した時、天気はイマイチで、槍のピークは雲で隠れていた。これから登頂するというのに曇りかよ…と思っていると、槍ヶ岳山荘を出発した途端、見る見るうちに雲がひき、槍ヶ岳がその全貌を現した。まさに奇跡が起こったかというくらい、興奮した!

雲間から槍ピークが現れてくる様子(槍ヶ岳山荘付近より)


(左)ピークに達するまでに何度か現れる、ほぼ垂直のハシゴ。山好きのお母さんに無理矢理連れてこられました、という感じの少年は足がすくんで動けなくなっていた。
(右)槍ヶ岳山頂にて、記念撮影

この日は槍ヶ岳山荘に小屋泊した。小屋のTVで、台風が2日後に日本列島を直撃することがわかり、この先の山行に少し不安を感じた。小屋は立派だったが、素泊まりの僕らは布団の湿った隅の部屋に追いやられた(><@)
翌日は朝から小雨であったが、西鎌尾根を経て、三俣山荘までの長い行程をひたすら歩いた。夕飯は、僕が発案した、マッシュポテトを使ったジャガイモスープ(クルトン、パセリ入り)とチキンライス。少し不安だったが、好評を得てホッとした。

30日はもともと休養日で進む予定ではなかったが、いよいよ台風が迫ってきて、三俣山荘に避難してそのまま小屋泊となった。三俣山荘は見た目は立派ではないが、小綺麗でスタッフも親切で、槍ヶ岳山荘よりずっと良かった。この日の夜は、小屋が吹き飛ぶんじゃないかと思うくらい猛烈な雨風で、恐ろしかった。

雨風は次の日も止まず、停滞することとなった。でもそのおかげで、三俣山荘のオーナーで、雲ノ平や伊藤新道を切り開いた伊藤さんの小屋建設や雲ノ平開拓のエピソードなどを聞くことができた。
夕方に雨も止み、翌日(9月1日)は北アルプスの奥地、水晶岳・鷲羽岳をピストンした。


左は水晶岳山頂直前の岩登り。真ん中は夕焼けに染まる鷲羽岳。右は鷲羽岳と三俣山荘。

水晶岳に行く途中に見えた野口五郎岳(左)と黒部五郎岳(右)→
ようやく台風が去ったというのに、晴れたのは昼間だけで、夜から再び大雨で、テントは浸水しシュラフは湿り、かなり萎えた(_ _。)/~~

2日の朝、雨の中テントを撤収して、どうにかこうにか双六小屋まで移動したが、双六小屋ではびしょ濡れなのに、冷たく追い出された。大きな小屋というのは営利目的が第一で、我々のようにテント泊で、もうけにならない客には露骨に嫌な顔をするようだ。この時あらためて、小さくても温かい対応をしてくれた三俣山荘のことが思い出された。

いよいよ合宿最終日、前日の雨も止み御来光を拝んでから(右)、新穂高へと向かった。
去年、北海道大雪山系に行った時は、「もう少し山にいたい。合宿が終わるのが寂しい。」と思ったものだけれども、この時は「ああ、ようやく終わるな。無事に終わって良かった。」という安堵感の方が大きかった。
こういう気持ちになったのは、一つには台風や大雨に遭い、山に入ることの厳しさを十二分に見せつけられたためだと思う。もう一つには、学年が上がり自分のことだけではなくて、後輩の様子を見たり、係の仕事をこなしたりしなければならず、終始気が張っていたからではないかと思う。

(左)はいポーズ。って誰やねん!  (右)新穂高にて、下山フォト。

下山してしばらく経って振り返ってみると、悪天候の中での山行や色々な失敗は笑い話となり、槍ヶ岳・鷲羽岳・水晶岳山頂で晴れたことや仲間との楽しい時間はそのまま鮮明に頭の中に残っている。パーティーを固定して行ってきた前期活動の集大成として、本当にいい合宿だったなあと思う。


<食事メニュー>
僕は前期活動では食当(食事担当)だったので、メニューを考えるのは一苦労であった。山での食事は楽しみの一つであるから、色々なメニューを作りたいけれども、山での調理法は限られている。まして夏合宿ともなると乾燥野菜(野菜を薄くスライスして、水分を取ったもの。軽くて腐らない。)とサラミしか持って行けないため、その制約の中で如何にアイデアを出していくかが難しい。
この合宿では、もう一人の食当と協力して様々なメニューを作った(下表参照)。

  8月26日 8月27日 8月28日 8月29日
夕飯 肉豆腐 ちらし寿司
すまし汁
炊き込みご飯
みそ汁
チキンライス
ジャガイモスープ
お食後 フルーチェ ココア レモンティー チキンラーメン
メモ 市販のタレが甘すぎた。 錦糸卵や田麩ものせて、見た目も豪華に! みそを入れすぎて、塩辛かった。 発案メニュー成功!
  8月30日 8月31日 9月1日 9月2日
夕飯 わかめコンソメスープ トマトとバジルの
スープ
中華スープDeluxe カレーパーティー
お食後 抹茶オレ ゼリー 葛餅・コーンスープ
メモ 停滞日の為、非常食 唯一、洋風のメニュー 木耳・干しエビ・椎茸・春雨など具だくさん ガラムマサラとクミンで一味違うカレーに!


白馬三山縦走
(04.8.13〜04.8.16)
スキーで知られる白馬だが、夏は高山植物の宝庫である白馬岳(2932m)が有名だ。地名は「はくば」と読むが、山は「しろうまだけ」と読む。今回は、最もメジャーな“大雪渓”を経て白馬岳へ登頂するルートではなく、白馬岳・白馬鑓ヶ岳・杓子岳の白馬三山を縦走するルートを行った。

<ルート>
  • 8/13; (夜行バス)→白馬駅→(taxi)→猿倉→白馬尻荘
  • 8/14; 白馬尻荘→鑓温泉
  • 8/15; 鑓温泉→鑓ヶ岳→村営頂上宿舎←→白馬岳
  • 8/16; 村営頂上宿舎→白馬大池山荘(←→乗鞍岳)→蓮華温泉

<山行記録>
13日は移動の疲れがあるので、白馬尻荘までの短い行程だった。雲一つない快晴で、大雪渓を眺めながら河原に寝そべり、幸先のよいスタートを切ることができた。この時は、当然この合宿が猛烈な雨風に襲われることなど想像もしていなかった…

次の日(14日)は、昨日ほどの快晴ではないが、雨も降ることなくサイト地の鑓温泉に着いた。鑓温泉は、日本で三番目に高いところにある温泉で、標高2000mを越える。鑓温泉に近づくと、硫化水素のニオイがしてきて、山肌を温泉が流れている。


鑓温泉小屋とテント、湯気を立てて流れる温泉→

入浴料300円。風呂に入れないことが当たり前の山の中で、まさか温泉に入れるとは思っていなかった。男風呂は斜面に作られているので、視界を遮るものがなく景色を見渡せる代わりに、丸見え。僕らが登って行った時には、おっさんがこちらを向いて仁王立ちしていたため、メッチェンが気まずそうだった。

さてさて風呂に入ってすっきりできたが、この頃から雲行きが怪しくなってきて、夕飯を終えたくらいから遂に雨が降り始めた。雨は次第に強くなり、テントを打つ雨音でなかなか寝付けなかった。
ようやく眠ったと思ったら、夜中につま先の方に変な感触を覚えて起きた。暗くて何も見えないから、手で触ってみると、水たまり!テントが浸水して水浸しになっているではないか!!その後はシュラフを守るため膝を折り曲げていたし、鳴りやまない雨音で寝られなかった。

翌朝(15日)、大雨の中テントを撤収した。一年半やっていて、朝からこんなに雨が降っていたのは初めてだった。この日の行程では、僕らが行く一ヶ月ほど前に滑落事故のあった鎖場(危険箇所)を通るのに、雨という悪条件であったから、正直進みたくなかった。でも停滞はしないとのリーダーさんの判断で、しかもこんな日に限ってコースリーダーに指名されたので、緊張した。
(左)その鎖場付近。自分が通る時も少しびびったが、不安げな一年生が通る時はもっとハラハラした。
(右)我々の後ろ姿。白馬鑓ヶ岳手前。

どうにか何事もなく危険箇所を通過し、しばらくすると白馬鑓ヶ岳手前で雨が止んだ。そして、いよいよ白馬岳の雄姿が見えた。

白馬岳。線が非常に美しい。

雨は止んだが、白馬岳周辺は風がものすごく強くて、体感温度はかなり低かったように思う。サイト地の村営頂上宿舎では、石で固定していたペグがあまりの風で、翌朝なくなっていた。

最終日は相変わらず強風だったが、晴れて気分の良い山行となった。白馬大池は、昨年訪れた北海道大雪山系の忠別沼に似た雰囲気で、広大で穏やかな所だった。
15時過ぎ、蓮華温泉に下山し合宿が終了した。大雨や強風に見舞われ大変だったが、要所要所では晴れて、まさに山の色々な面を見せられた合宿だった。そういう意味で、一年生だけでなく、僕らにとってもいい経験になったのではないかと思う。

蓮華温泉からバスで移動する時に、ザックを詰め込んだ様子。大所帯なので、後部座席を占領することになり、一般登山客からは常に白い目で見られる。これに耐える方法はただ一つ、「すみません」と最初に謝って、あとは寝たふりするしかない。

糸魚川駅にて。ワンゲルにホテルで宿泊という概念はない。従って、次の日の始発に乗るまで駅前でシュラフを広げ就寝(これをステーションビバークという)。大きな駅であるほど、周りからの視線が気になる。こちらを見て笑ってる人はいるけど、声をかけてくる人はいない。あ、いた。警察の方々からは、しばしば声をかけられます(笑)





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