> Internationalな人達 (08.5.5)
 アメリカに滞在している間、「これがナチュラルスピードの英語か…」と愕然とすることが何度もあった。バスの車内アナウンス、スーパーの店員がボソリと言ったこと、グループミーティングでのディスカッション…はっきり言って何を言ってるか全然わからかった。そのことで見下され、不快な思いをさせられたこともあった。「あぁ、日本に来た留学生は辛抱強く、相当ゆっくりしゃべってくれているんだな」と、その時初めて認識したものだ。
 いざ自分がアメリカに飛び込むと、ちょっとした日常英語すら満足に理解できない、というのはショッキング〜で、これが現実だなって知ることは重要だと思うし、もっと英語上手くなりたいって思う。ただ、ボクが目指すのはナチュラルスピードの英会話ではなくて、自分のフィールドで国際的な舞台に立つことだ。だから英語だけでいたずらに自分を蔑(さげす)む必要はなくて、むしろ収得すべきものは世界に通用する研究の推進力研究者としての国際性である、とボクは思っている。

 サンフランシスコで出会ったどこかのお偉いさん(名前も所属も忘れてしまった…)も、こんなことを言っていた。

「アメリカ人は英語がしゃべれるからといって、みんな国際的に通用するかというと、決してそんなことはありません。Internationalな人とはどういう人なのか、よく考えてみてください。」

 無意味にボクらを待たしたり、ボクらの前でだけ明らかに態度がデカくなるレストランの店員が国際人と言えますか?My Wayじゃなくて、No Way。逆に言うと、困っているときに手をさしのべる、話し方を切り替えてくれるなんていうことは、我々のことを理解してくれる(理解しようとしてくれる)国際性がないとできませんから。。。その不愉快なレストランの店員には、

「君らはたまたま英語が母国語なだけなんだよ…。」

と言ってやりたかったですが、ボクは日本に来た留学生に同じような思いをさせてはいないかと、ふと不安に感じました。「日本人はシャイだ」というレッテルを言い訳にして、外国の人がいるのに日本人コミュニティを作り上げて、寂しい思いをさせていませんか…?

(左)サンフランシスコにて。奥に見えるのが有名なゴールデンゲートブリッジ。
(右)シアトルの街並み

 あとはみなさん、自分の感じることを少し考えてみてください。長くなったので、上に挙げたボクの今現在感じていることをまとめます。

(1)ネイティブのように英語を使うことができない以上、そのことで僕らを見下す人も大勢いるということを認識する。
 
(2)でも国際的な感覚を持って接してくれる人とは対等なコミュニケーションが取れるよう、自分のフィールドをしっかりと確立する。ジャパニーズとして、研究者として。
 
(3)国際性というものを意識して身に付けるべきものかどうかはわからないが、自分自身も真の国際人を目指して、英語の勉強だけではなく、実際に外国の人とコミュニケーションを取るときの接し方(日本にいるときも、海外にいるときも)に注意する。