書こう、書こうと思っているうちに時間が経ってしまって、もはや流行語でも何でもなくなってしまったが、
KYという言葉が今でもしばしば使われる。少なくとも「空気が読めない」ヤツを悪とし、批難あるいは排除する風潮は、今日の社会にみられる一つの象徴的な流行であるといえる。
一つ、言わせてもらおう。ここでは「たしかに社会では空気を読まなきゃいけない場合もある」などという当然の前置きは、省略する。
ぇ、空気が読めるって、そんなに威張れることなんすか?…
KYであることを積極的に肯定しているのではない。ボクは単に「KYだと他人を侮り、自身がKYになることを恐れている人間の小ささ」こそ嘲笑の対象じゃあーりませんか、と言いたいだけである。たとえば空気を読んでいるつもりで、何事もわりとうまく取り繕い「どう?わたし空気読める人間でしょ?」と(口には出さずとも)得意気な人間。こういう人々が“KYじゃないアピール”をしているのを悟られてるのに、それに気付いていないことは、僕からすればかなり
“KY”である。
08年1月14日付けの朝日新聞、今年の成人の日に合わせてこんな社説が載っていた↓
…それだけに、若者に広がる「KY」(空気を読めない)という言葉は気がかりだ。自分たちと違うと感じた相手を排除する。仲間はずれが怖いから、みんなと同じであろうと必死になる。流行語が招くこの風潮にがんじがらめになってしまうと、まわりに流され、やがて自分の意見さえ持てなくなる。
このさき、どう生きるか。どんな社会を望み、どういった政治を求めるのか。課題に向き合うたび、自分なりに考える。少なくともその努力をすることは、まぎれもなく大人の責任だ。…
結局、空気を読むことに奔走するヤツは、たいてい自分の考えをまともに持ってない。ボクはそういう人間にはなりたくないし、はっきり言って彼らには一切の魅力を感じない。それよりはずっと、空気を読むとか読まないとかお構いなしに、突拍子もなくポツリと意見を言うヤツの方が面白くて好きだ。でも、前者は後者のようなタイプを著しく嫌い、必ずや
陰口をたたく。
自称“空気が読める人々”に対して願うのは、自分を持てなんて難しいことではなくて、せめて自分の考えをもった(一見したところKYな)ヤツらをつぶそうとするのを止めてほしいということ。もし、KYな意見が本質を突いた意見、あるいは新しい芽となるような意見だったらどうするんですか?ぁ〜、もったいない、MOTTAINAI。
新入生、新社会人へ。深呼吸しよう!古株の顔色を窺い、同期のKYなヤツ探しに労力を注ぐくらいだったら、今の新鮮な気持ちを忘れぬうちに、素直な感情を表現した方がいいと思うぜ。空気は重要だけど、普段は意識もせずに呼吸してりゃいい。むしろ流れにとらわれすぎず、
大局を読むことこそが、勝負に勝つために大切なことだ、とボクは思う。
- さくら、満開なのに破局
(08.4.5)
今年は東京と大阪で、それぞれ桜を楽しむことができた。いま、大阪の桜は満開だ!
それにしても、桜の花の存在感はすごい。勝海舟のような単独の派手さはないけれど、華やかでかつ穏やか。(左写真@浅草)
「ぇ、こんなところに桜の木があったんだ〜」と、この時期になって初めて気付くことも少なくない。右は、阪大内のとある実験棟の外観写真。今まで完全に素通りしていたので、全然気付かなかったよ〜!
こんなにゴミだらけだったなんて(-_-;)
桜の花の綺麗さに立ち止まってみたら、ギャップが激しくてゴミの方に目がいってしまったよ。。。
どこの研究室だか知らないが、なんだか怪しげな化合物名の書いたポリバケツとかが散乱していて汚すぎる。
桜が散って目立たなくなるまで待て ではなくて、桜が散る前に、即刻片付けよ。
- 啓蟄も過ぎまして。
(08.3.13)
「ねぇアツロー、これ読んでみ。」
といって、菓子パンの袋を渡された。
「はぁ?…
ミルクホットケーキハチミツ&マーガリン」
「違うね。もう一回、ちゃんと見てみろよ。」
「
ミルクホットケーキはみちっ…ぇ”(゜_゜;)」
こりゃ大変だ。たしかに
とっておき宣言するだけの価値はある。
おいコラッ、リラックマ。春だからって、グゥグゥ居眠りしてる場合じゃないぞ!
- 写真日記
(08.2.9)
先週の土曜、大阪ではびっくりするくらい雪が降った。
報告会が15時過ぎに終わって一息ついていると、アメリカからの留学生Lizさんが
「そうだ、京都に行こう!」
というので…
こんな気分になって、電車に飛び乗った。(→→→)
あまり時間がなかったので、河原町から八坂神社を通ってまっすぐ清水寺へ。
この辺はもう何度も来ているが、雪で覆われた京都を見るのは初めてだったので、すごく新鮮だった。Lizさんも美しいが、雪化粧の京都も美しい。
ただ、靴がびしょ濡れになって、めちゃめちゃ寒かった〜(∋_∈)寒さで震えて思わず舞台から落ちそうになったが、それほどの決断力がないボクは、どうにか飛び降りずに済んだ。
慌ただしい土曜日だったが、行ってよかった。Lizさんは、引き続いて日曜も雪のゴールデン&シルバー・テンプルを観に京都に行ったらしい。
- たくさんのふしぎ
(08.2.7)
“生物と無生物のあいだ”という本(講談社、
定価777円)を紹介してもらった。その直後に、たまたま著者の福岡伸一先生がテレビに出ているのを見たので、何かの縁を感じ、手にとってみた。
タイトルを見て、まずこんなことを考えながら読み始めた。
「そもそも
生物の定義って何だろう?生物と無生物のあいだは連続的に切り替わるものなのか、それとも明確な境界線をもつものなのか?」
「連続的に切り替わるとしたら、その間に存在する
“非生物”はいったい何モノなのか?」
まぁ実際の中身は、必ずしもこのタイトルに沿った話ばかりではない。福岡先生自身の研究生活や、偉大なる(偉大とされてきた)研究にまつわるエピソードなど、その内容は多岐に渡る。
野口英世の行った研究について、著者は少し否定的な見解を示しているが、それについては酌量の余地があるのではないかとボクは思う。過去の研究は、その時代の設備環境や水準を基にして考えるべきだと。今の科学だって、50年後の研究者にどんなにボロくそに言われているかわかりゃしないんだから。
ボクが一番興味深かったのは、
動的平衡の章だ。何となくは知っていたけど、あまり意識してなかったようなことが書かれてあり、あらためて生体システムの巧妙さと不思議を垣間見たような気がした。
この本全体を通していえることは、誰にでもわかるよう平易に書いてあるけど、ある程度バックグラウンドのある人にも飽きがこないような文章と構成になっていることだ。文章がうまい。そう思って、ふと帯を見たら、茂木健一郎さんが
「福岡伸一さんほど生物のことを熟知し、文章がうまい人は希有である。
サイエンスと詩的な感性の幸福な結びつきが、生命の奇跡を照らし出す。」
と既にボクの感想を、思いっきりかっこつけて代弁してくれていた(笑)
というわけで、ボクもこの本をみなさんにお薦めしたいと思います。よければ貸し出しする(
7泊8日777円)ので、いつでも言って下さい〜(^o^)/
- 破裂しちゃった☆
(08.2.6)
吹田キャンパス内の水道管が破裂して、えらい騒ぎになった。
犯人はカレー屋のインド人ではないかと思う。
生協も臨時休業するなか、唯一営業していたカレー屋には長蛇の列ができていた。
そう思って、インド人に聞いてみた。
「おじさんが
水道管破裂 させたんじゃないの?お客さん、たくさんだね!」
インド人のおじさんは特に否定もせず、ニヤニヤしながら
「今日は忙しいです。
ラッキーだね☆ 」
と答えてくれた。やっぱりインド人は面白い。
明日も、生協が開店できるか微妙なところだ。明日のカレーは、きっと日本人好みの“ビーフカレー”だろう。
おまえはインド人ちゃうんかい。
- トメィトゥ・ジュース
(08.1.11)
“トマトは好きだけど、トマトジュースは嫌い”という人はわりと多いのではないか。
ボクもその一人、
のはずだった。
ところが、最近飲んだ伊藤園の
“濃い熟トマト”なるトマトジュースは、フツーに飲める。というよりむしろ、うまい(^。^) (別にボクは伊藤園の回し者ではないよ!)
でも、なぜトマトジュースを飲もうと思ったのかいうと、(ボクのトマトジュース嫌いを知っているはずなのに)実家から送られてきたので
仕方なく、である。どうも母上は、ボクのお肌の状態を心配してくださったようだ。トマトジュースとともに、野菜ジュース二本、果物も送られてきた。
一口飲んで「うゎ、やっぱり
マズイ(∋_∈)ありがた迷惑〜」と文句を言う予定だったのに、思わぬ形で嫌いなモノを克服しちまったぜぃ。大学に入って、
グリーンアスパラ以来の快挙だ!
- Suicaでいこか。
(08.1.10)
大阪に移り住んで丸6年が経とうとしているというのに、未だに
関東人意識が消えない。それどころか、段々とそのアイデンティティが強くなってきているような気さえする。
今さらながら少し関東と関西の違いを比較してみると、僕にとって一番厄介なのは、やっぱり
言葉を含めた会話の違いかな…。関西弁を聞くこと自体にはあまり抵抗を感じないんだが、いかんせん僕が“こんな”話し方なので、頻繁に(ホントに頻繁に)言葉の話題になり、いじられる。いじられキャラも大阪的にはおいしい役どころだが、こちらのテンションが低いときには、けっこう本気でヘコむ。
も〜、いちいちツッコんでこなくていいじゃん、チョ〜めんどいんだけど(-_-;) ってなる。
(↑↑↑これはワザとね。)
この現状を解決するには、関西弁をマスターするか、 関西を離れるか、近しい人を
“関東弁理解者”で固めるか、あきらめるか…。でもドクター行くことにしちゃったから、まだしばらく大阪にはいるし、先輩には
「アツローは、関西弁マスターするより、英語の方が簡単ちゃう?」
と皮肉られる始末だし\(゜_゜;) うーむ、何かいい打破法はないかのぅ。。。
しかし、自分のアイデンティティをこんな風に感じるなんて、インドで日本人を感じたときの心境に少し似ている。
駅前留学は潰れてしまったから無理だったけど、旅費2万の長期国内留学をしている、と思うことにするか。いま研究室には、ホントの留学生が次から次へと来るし。
僕は国際結婚するんだろうか?
- アツロー宣言
(08.1.1) 山の上から何度も御来光を拝んだことはあるけれど、
初日の出を見たのは実は今年が初めてだったような気がします。朝五時前に起きて、実家近くの昭和の森へ。展望台は
千葉市で最も高い場所だけあって、予想以上に人が多かったですが、九十九里から出てくる朝日はなかなかのものでしたよん。
というわけで、みなさま、明けましておめでとうございますm(_ _)m
年賀状ほとんど出していないので、この場を借りまして、今年もどうぞよろしゅうお願いします。
2008年は
成長の年と位置づけたいと思います。研究に関しては、春から博士後期課程にも進みますし、結果を残すことにもこだわっていこうかと。これは、今まで僕が“学生としての本分を見失わないように”という思いから、あまり重要視していなかったことなんですが、昨年の研究生活のフラストレーションは結果の少なさに起因しているという事実は否定できません。
松坂だって、投球練習で150キロの豪速球を投げ込んでいても、試合で勝てなければ叩かれます。プロなら目に見える形で結果を残す、そういう現実とも闘わなければいけません。そして試合に勝ち始めれば、不安は確信へ、確信は自信へと変わって、きっと歯車は滑らかに回り始めるはずです。自分を松坂に例えるなんて、なんとも傲慢な話ですが、でも世界は小さいながら僕がリードしていく立場の人間にならなきゃいけないとは真剣に思っています。そういう責任があるのだと。
2007年は研究以外のことについても、芳しくないことが続きました。そーいえば厄年だったんだよね…(~o~)
僕自身がいたって健康(精神以外?)でいられたことには感謝しなければなりませんが、今年こそはあちらこちらでいいニュースが聞けますように。もちろん、神頼みもしますが、僕にできることはやりますよ。公私ともに
“慣れ”による生ぬるい心地良さを捨ててね。中途半端な姿勢は終わりにしてね。
自分に言い聞かせるような文面になってしまいましたが、今日見た初日の出のように、眩しいくらいの光がみなさまに差し込んでくるよう、心よりお祈り申し上げます。ではまた、see you!!
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Last modified 08.6.29