>3/22 (Tue) 対称性の神秘
 朝6時起床。Hotel カマルでお茶を飲む。屋上レストランからは、はっきりとタージ・マハルが見えた。タージ・マハルは、以前 別のコラム で既に書いたが、ムガール帝国の皇帝が妃のために造った霊廟である。

 入場料は、インド人と外国人では値段が全然違って、われわれ外国人はなんとインド人の 約35倍、2000円。おぃおぃ、ぼったくりだろ…と思ったが、ここまで来て入らないで帰るのももったいないので、しぶしぶ払った。

 実際、近くで見てみると、まぁ2000円も仕方ないかな〜と思ってしまうほど、綺麗で大きくて想像以上に美しかった。ホテルの屋上で満足せずにここまで来てよかったよ…。朝早く行ったおかげで、観光客が増える前にじっくりと見ることもできたので、とても満足だった。


 手でタージ・マハルをつまむことに見事に失敗したカズ

カメラマン:アツロー



 タージ・マハルを堪能した後、アーグラからいよいよスタート地点のニューデリーへと電車で戻った。
 懐かしのニューデリー。漸くここまで戻ってきたんだなぁ。このインド旅行記も(苦笑)

 この日は、バグドグラ行きの航空券を手配してもらったシゲタトラベルを併設するHotel Ajay に泊まることにした。夕食は花田さんを含め3人で、最後の晩餐ということで ビール を飲んで乾杯した。インドは宗教上、あまり公共の場で酒を飲むことを良しとしないらしいので、お酒を飲むのは山を下りた後ヨクサム(シッキム)で飲んだ以来であった。異国の地での酒は、何だか格別に楽しかった。

 カズはこの日の深夜、ボクより一足先に空港へと向かった。カズを見送った後、ひとりになった部屋でこの一ヶ月を回想しながら、再び眠りに入った。



>3/23 (Wed) Incredible India!!
 いよいよ最終日、8時起床。ホテルの朝飯は比較的おいしかった。その後、土産を買うため、メインバザールからコンノートプレイスへとプラプラしながら歩いて行った。初日、あれだけ気を張って歩いたニューデリーも慣れてみると、案外フツーの街である。相変わらず

 "Hello friend!"

と知らない人達が声をかけてくるが、それも笑顔で返せるようになった。コンノートプレイスでは“ちゃんとした”土産物用にパッケージされたダージリンティーを買った。でもそれ以外は高くて手が出ず。。。
 昼飯はインドのマック。McAloo Tikka とかいうのを写真だけ見てオーダーしたら、カレーコロッケバーガー が出てきた。さすがインド。味は日本のマック並み。値段はインドにしてはかなり高くて、レストラン並み。たしかに "Family Restaurant McDonald's" って書いてあったしね。入り口にガードマンいたし (^_^;)

 昼食後、メインバザールに戻って、アクセサリーを買い込む。とにかく安いし、(探せば)オシャレなネックレスとかがたくさんあった。値切り交渉も、わりと上手にできるようになってきた。自分用にインド綿のシャツも値切って 100 Rs(250円)で購入。(この服は、2011年現在でも愛用している。もうボロボロだけど…捨てられない。)

 土産も十分買ったので、ホテルに戻る。風呂に入ったり、花田さんとお茶したりして、最後の数時間を過ごした。花田さんと話しているとき、ある日本人女性がいきなり話しかけてきた。しばらく話していたが、話がどうも逸れてくる。ボクにはよくわからなかったのだが、旅慣れた花田さんが

「あれはヤバい、運び屋 を探してんだよ。」

と教えてくれて、すぐその女性から離れた。運び屋というのは、麻薬を他国に密輸する人のことである。花田さん曰く、日本人は世界から信用されているので、それを逆手にとってそういう仕事に手を染める人がけっこう多いのだそうだ。こうしてインドで何人かの腐敗する日本人の姿を見てしまった事には、少なからずショックを受けた。

 いよいよ、荷物をまとめてタクシーで国際空港へ。タクシーに乗ったはいいが、途中でガソリンスタンドに寄るわ、タバコを買いに行くわ…

はよ行けっちゅうねん! 飛行機乗り遅れたらどうすんねん!!

でも、これが India!! ここで怒ったらおしまいだ(笑)騙してくるインド人には怒ればいいけど、わざとじゃないけど日本の常識ではあり得ないことも、インドにはたーくさんあるのだ。インド人が日本に来たらビックリすることだって、あるだろうし。そう考えるとホントに笑えてきて、同乗したイタリア人女性と一緒に、呆れながらもケタケタ笑いながら空港まで向かった。

 チケットを取り、軽く夕食を食べて飛行機を待つ。この間に、ボクはこの一ヶ月の日記を読み返してみる。危うく騙されかけたニューデリーでの初日から、シッキムでのトレッキングを経て、旅を続けた一ヶ月弱。一ヶ月前のことは、だいぶ前のことのようで、あっという間だった気もする。日本に早く帰りたいけど、空港で日本行きの便を待つもの寂しさ。別れというのは、いつもこういうものだ。オヤジが住んでいたアメリカに遊びに行って、オヤジを残して家族三人で帰国するときも同じような感覚だったな。

 この旅は、一生の思い出になるだろう。まず、この25日間にわたる旅をしたことの達成感。そして、数々の出会い、たくさんの感動と喜び、少しだけ嫌な思い。この先、この思いがどういう風に熟成されていくかはわからなけど、楽しみだな。

 また来るぜ、My friend, India!!

完 



>2011年5月5日 あとがき
 このインド旅行記を完成させるのに、実に6年以上の歳月を要してしまった。いや、要してしまったというのは正確ではない。完成させる気力が足りなかったというところか。じゃあ、なぜ今更…

 帰国後も、色々なことがあった。成田空港の税関で

「麻薬もってますか?」

と聞かれ、持ってないっつってんのに、ザックの中を全部ひっくり返されたりとか。神に誓ってボクは麻薬を持っていなかったが、この男(→)、腹の調子がおかしいのは黙って隠していた。結局、2週間くらいピーゴロが続いて、阪大病院で

「O159 とエンテロコッカスによる腹痛」

と診断された。相棒のカズも体調が治らず病院に行き、「目の中に、虫がいます」と、驚愕の診断をされたらしい。そんな彼も、今では無事に患者を診る側になっている。

 なぜ今更、このタイミングで本旅行記を完成させる気になったか、という理由がわかってきた。ボクは「O1×× による腹痛、食中毒」と聞くと、いつもこのインド旅行を思い出すのである。ユッケも怖いが、インドの飲むヨーグルト、ラッシーも油断してはいけない。
 決していい思い出し方ではないが、しかしそれも含めてインド旅行。日記を読み返して、毎日が鮮明に蘇ってくる25日間は、やっぱり特別なんじゃないだろうか。インド旅行で、カズをはじめ色々な人から学ぶことも多かったなぁ。ボクのテキトーさ、度胸、サバイバルイングリッシュもインド旅行で身に付けた技術だろう!?

 インドに行った旅行者は、両極端に分かれるという。「もう二度と行きたくない派」か、「また是非とも行ってみたい派」か。本当にインドにハマっている人からすれば、ボクの熱意は大したことないだろうが、ボクはまた是非行ってみたい。そのXデーまで、あと○○○日!