新庄がプロ1年目に購入したグラブを17年間使い続けていたと知って、“時計紛失事件”直後の私は感銘を受けた。
時計紛失事件、そう10日前、私は小6から使っている腕時計(右写真;富士山登頂時)をなくしてしまった。
それは、札幌の祖父にもらったものだった。G-SHOCKではないがCASIO製の優れもので、12年経ってもちゃんと正確に時を刻んでくれていた。高校のとき多少の浮気はしたが、毎日毎日ず〜っと連れ添ってきたヤツ。あまりに身近な存在になりすぎて、あえて意識することがなくなっていた。
…バレーボールの試合直前にはずしたのは間違いない、その前に時間を確認したのも覚えている。でも、はずした時計をどこにしまったかが思い出せない。カバンに入れたはずなんだが、更衣室の棚の上かもしれない、体育館の床の上だっけ??
カバンの中を探しても時計がないことに気付いて、私はすぐに体育館に引き返したが、思い当たるところにはなかった。
結局、夜まで探したけど見つからず、次の日も学生センターや各学部の事務を回ったが、落とし物の連絡はなし。今さらだけど、失って初めてヤツの大事さを私は認識した。
私の相当な落ち込みに、周りの人は色々と慰めの言葉をかけてくれたが、どうにもならなかった。うす汚れたように見えても、私にとってはお金では取り戻せない時計なのだ。そんなに大切なものなのになぜ、ちゃんとカバンにしまわなかったのか…、悔やんだ。
しかし、ヤツは戻ってきた!
紛失してからちょうど一週間、半ば諦めかけていた頃、後輩が分析室にいた私のところに飛んできた。
「アツローさん、時計見つかりましたよ!」
「おぉ!マジか〜い(!o!)」
で、慌てて後輩に付いていくと、研究室の前に清掃員のおじさんが、見覚えのある私の時計と、体育館にしておいた張り紙を手にして立っていた。
「この時計、掃除の時に拾ったんやけど、事務に届けるの忘れてもうてた。それで張り紙してあったもんやから…」
話を聞くと、体育館の更衣室の床に落ちていたらしい。帰るときに、カバンから落ちたか何かしたのだろう。しかし何度も探しに行った更衣室にあったってことは、私が落としてすぐに拾ったんだろうなぁ…。
0.1秒だけ「もっと早く事務に届けろよ(-_-;)」と思ってしまったが、落とし物を拾い、内線番号しか書いてないはずの張り紙を見て、わざわざ研究室まで届けに来てくれた清掃員のおじさんには本当に感謝したい。
何はともあれ、こうして時計が無事に生還した。
使い続けているものには、どっかのCMじゃないけど、お金で買えない価値がある。
私の文房具達も然り、新庄のグラブだってもう革がくすんでいるけど、彼にとっては何にも代え難い存在であるはずだ。
私の時計にはこれからも頑張ってもらわにゃ。もう離さんから、おまえもしっかりやれよ。
- 科捜研の“男”
(06.9.1)
私の研究室の同期が、70倍近い倍率の警察の科学捜査研究所(いわゆる科捜研)の試験を突破し、大学院を中退して来月から働くことになった。
あまりに突然な話で驚いたが、同期としても本当に嬉しく、心から彼を祝福した。だが、この事実を反芻するうちに、何だか今はショックの方が大きくなってきた。なぜか?
一つ目は、彼と今月でお別れだということ。
普段は寡黙なヤツだが、二年目の付き合いとなって、せっかく面白いところがたくさん見えてきたのに…。彼はケータイも持ってないので、これから連絡が取れるんだろうか…?
二つ目は、彼が小学生の頃から「科捜研で働きたい」という明確な夢をもって歩んできたのを知ったこと。
それに引き替え、この私といったら何たるサンタルチヤ(- -;)尤も、私が朧気ながらもつ“研究者”という夢は、すぐになれるものではないし、今はまだ準備段階といっていい。でも、彼のように明確なビジョンをもち、それ相応の覚悟ができているのかというと、私は正直Yesと答える自信がない。いくつかの選択肢の中を行ったり来たり、そして決断することから逃げてしまう。いつまでモラトリアム人間でいるつもりですかね。
だから今回、新たな一歩を踏み出す彼の姿を見て、不甲斐ない自分が非常に情けなく、今更ながらショックを受けているわけです…
人生いろいろ。そりゃ悩むことだってある。でも“ここぞ”ってときには、腹を据えて決断を下さんと。悩んでることに満足したらアカンで。
ということで、残りの彼と共に過ごす時間を楽しみながら、そろそろ自分自身の将来を真剣に見つめようかと思います。
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Last modified 06.12.22