Miscellany

Oh, Jesus!
(06.12.22)

 クリスマスツリー、飾り付け、すべて実験用のろ紙で作られています。
 僕がひだ折りろ紙(クリスマスツリーの構成部分)を重ね、その天辺にハートカッターを付けて「ホワイトクリスマスだぁー!」と遊んでいたら(右写真)、研究室の人が僕の100倍くらい綺麗なものを作ってしまったのです。だから悔しいけど、そちらをメインで載せます。

 因みに“ひだ折りろ紙”は迅速にろ過をするために円形のろ紙を折って作るものであり、“ハートカッター”は簡単なガラス細工の際に使うハート型のやすりで、いずれも歴とした研究用品です。(解体したら、普通に本来の用途で使えます。)研究室にいると、こんなことでくらいしかクリスマスらしさを感じられないんだなぁ。

 迷える子羊たちよ、キミに幸あれ。メリー、クリスマス\(^^:;)

なぜ葉は色付くのか?
(06.11.24)
「ねぇアツローくん、なんで葉っぱは赤くなるの?」

「ん?それはね、葉っぱも恋をしているからだよ。ポッ(o^^o)

 …はぁ、相変わらず寒い発言しかできないけど、関西人には「これでも千葉に帰ったら大爆笑だよ!」と、全千葉県民を巻き込んで何とか言い訳しながら生きているアツローです。この前地元の友達と会って、やはりスベりまくったというのは未だ内緒やけど。。。

 人を笑わすって難しいね。「笑いって何だろう?」ーそんな根本的な問いかけの答えを探して、最近は寝ても覚めてもトイレでも風呂でも、常に笑いについて考えています。ウソ。

 さてさて下の写真は、阪急北千里駅から阪大に向かう途中の道です。普段、僕はこの道を通っているわけではないのですが、この時期になると綺麗に葉が色付くことを知っていたので、見に行ってきました。


 吹田市は“好いたすまいる条例”という、アツローくんも真っ青のネーミングの条例のおかげで都市景観が守られているらしく(?)、騒々しいものがないので、北千里駅周辺の街並みは美しいです。まぁそのせいで、阪大吹田キャンパス周辺には“学生っぽい店”がなくて食べる所に困るんですが…。

 ついでに右の写真は、この前パープルちゃん(GIANTの自転車)に乗って伊丹空港へ行ったときの写真です。
 家族連れと、でっかいカメラを持った飛行機マニアに混じって飛行機を眺めていたら、何だか僕の方をガン見してくる強い視線を感じました。「そんなに見るなよ…」と思いながら、視線の方向に目をやると、監視カメラと

“この柵を飛び越えないで下さい。”

という看板がありました。僕は自殺志願者ではありません、勘弁して下さい (x。x)゜゜

空を見あげて
(06.11.13)
 僕が魅力を感じる人というのは、どういう人なのか?

 それはたぶん、自分よりもたくさんの経験をしている人だと思う。どんな経験だっていい、年齢も関係ない。当然、年を重ねるほど経験は増えていくのだけれど“経験/年齢”が重要だ。
 そういう人に出会ったとき、僕はつくづく「この人かっこいいなぁ」と素直に感心し、その人の生き様を想う。逆に、(少なくとも僕が接する限り)大した“経験/年齢”もしていないのに偉ぶる人、なぜかうまく世の中を渡っている人に対しては嫌悪感を抱く。

 「結局、成功した者が勝ちなんだよ…」と言われてしまえばそれまでだが、そんな発想の持ち主はたいてい後者で、僕はそういう人に魅力を感じないし、自分自身そうあるべきではないと思っている。だって、成功したかどうかなんて、その人が死ぬまでわからないんだから。いや、そもそも人生で成功するということがどういうことかなんて誰にもわからないんだから…。

 日常の生活を離れて外に出ると、思いがけぬところで魅力的な人物に出会う。もっと、もっと多くのかっこいい人に会いたい、自分はどういう生き方をしようか…

 そんなことを考えながら、自転車をこぎ続けて、気が付いたら伊丹空港にいた。

古時計
(06.10.29)
 新庄がプロ1年目に購入したグラブを17年間使い続けていたと知って、“時計紛失事件”直後の私は感銘を受けた。

 時計紛失事件、そう10日前、私は小6から使っている腕時計(右写真;富士山登頂時)をなくしてしまった。
 それは、札幌の祖父にもらったものだった。G-SHOCKではないがCASIO製の優れもので、12年経ってもちゃんと正確に時を刻んでくれていた。高校のとき多少の浮気はしたが、毎日毎日ず〜っと連れ添ってきたヤツ。あまりに身近な存在になりすぎて、あえて意識することがなくなっていた。

 …バレーボールの試合直前にはずしたのは間違いない、その前に時間を確認したのも覚えている。でも、はずした時計をどこにしまったかが思い出せない。カバンに入れたはずなんだが、更衣室の棚の上かもしれない、体育館の床の上だっけ??
 カバンの中を探しても時計がないことに気付いて、私はすぐに体育館に引き返したが、思い当たるところにはなかった。

 結局、夜まで探したけど見つからず、次の日も学生センターや各学部の事務を回ったが、落とし物の連絡はなし。今さらだけど、失って初めてヤツの大事さを私は認識した。
 私の相当な落ち込みに、周りの人は色々と慰めの言葉をかけてくれたが、どうにもならなかった。うす汚れたように見えても、私にとってはお金では取り戻せない時計なのだ。そんなに大切なものなのになぜ、ちゃんとカバンにしまわなかったのか…、悔やんだ。

 しかし、ヤツは戻ってきた!
 紛失してからちょうど一週間、半ば諦めかけていた頃、後輩が分析室にいた私のところに飛んできた。

「アツローさん、時計見つかりましたよ!」

「おぉ!マジか〜い(!o!)」

で、慌てて後輩に付いていくと、研究室の前に清掃員のおじさんが、見覚えのある私の時計と、体育館にしておいた張り紙を手にして立っていた。

「この時計、掃除の時に拾ったんやけど、事務に届けるの忘れてもうてた。それで張り紙してあったもんやから…」

 話を聞くと、体育館の更衣室の床に落ちていたらしい。帰るときに、カバンから落ちたか何かしたのだろう。しかし何度も探しに行った更衣室にあったってことは、私が落としてすぐに拾ったんだろうなぁ…。
 0.1秒だけ「もっと早く事務に届けろよ(-_-;)」と思ってしまったが、落とし物を拾い、内線番号しか書いてないはずの張り紙を見て、わざわざ研究室まで届けに来てくれた清掃員のおじさんには本当に感謝したい。

 何はともあれ、こうして時計が無事に生還した。
 使い続けているものには、どっかのCMじゃないけど、お金で買えない価値がある。私の文房具達も然り、新庄のグラブだってもう革がくすんでいるけど、彼にとっては何にも代え難い存在であるはずだ。

 私の時計にはこれからも頑張ってもらわにゃ。もう離さんから、おまえもしっかりやれよ。

科捜研の“男”
(06.9.1)
 私の研究室の同期が、70倍近い倍率の警察の科学捜査研究所(いわゆる科捜研)の試験を突破し、大学院を中退して来月から働くことになった。
 あまりに突然な話で驚いたが、同期としても本当に嬉しく、心から彼を祝福した。だが、この事実を反芻するうちに、何だか今はショックの方が大きくなってきた。なぜか?

 一つ目は、彼と今月でお別れだということ。
 普段は寡黙なヤツだが、二年目の付き合いとなって、せっかく面白いところがたくさん見えてきたのに…。彼はケータイも持ってないので、これから連絡が取れるんだろうか…?

 二つ目は、彼が小学生の頃から「科捜研で働きたい」という明確な夢をもって歩んできたのを知ったこと。
 それに引き替え、この私といったら何たるサンタルチヤ(- -;)尤も、私が朧気ながらもつ“研究者”という夢は、すぐになれるものではないし、今はまだ準備段階といっていい。でも、彼のように明確なビジョンをもち、それ相応の覚悟ができているのかというと、私は正直Yesと答える自信がない。いくつかの選択肢の中を行ったり来たり、そして決断することから逃げてしまう。いつまでモラトリアム人間でいるつもりですかね。
 だから今回、新たな一歩を踏み出す彼の姿を見て、不甲斐ない自分が非常に情けなく、今更ながらショックを受けているわけです…

 人生いろいろ。そりゃ悩むことだってある。でも“ここぞ”ってときには、腹を据えて決断を下さんと。悩んでることに満足したらアカンで。
 ということで、残りの彼と共に過ごす時間を楽しみながら、そろそろ自分自身の将来を真剣に見つめようかと思います。

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Last modified 06.12.22