Miscellany

サイレント・ナイト
(13.12.24)
 今日は クリスマスイブ 。どれだけ賑やかになるのだろう…と思いきや、お店やレストランもほぼ休み。みんな地元に帰ってしまったので、大学はアジア人とインド人ばかりで、閑散としていた。近くのレストランの前にあった空気で膨らむ雪ダルマの飾りも、無残な姿のまま放置され、休業 ↓↓↓



一瞬、ホームレスの人が行き倒れてしまったのかと思って、ギョッとした (^ ^;)

 もっとも、シカゴのダウンタウンの方へ行けば、もっと賑やかなイベント等があったのかもしれないが、シカゴに来てから最初の1, 2回を除き、まっっったく 一人で観光に行く気にならなくなってしまった。年のせいか、この寒い気候のせいか、見に行く処がない…!?

 因みに今朝の気温は、 マイナス18度

当然のように、雪で真っ白。外を5分歩くだけで寒く、雪道をチャリ or 徒歩でスーパーに行って食料を手に入れただけで、満足なのである(笑)


 少しだけ “クリスマス気分” といえば、やや控えめなクリスマスのイルミネーションに雪化粧をしたミシガン湖沿いの高級住宅街は、まるで ホームアローン の映画に出てくるような風景である。いや、実はこれは 本当の話 のようで、ホームアローンはエバンストン近郊で撮影されたらしい。というわけで、今日は久々に『ホームアローン』をホームでアローンで見たが、何回見てもこれは笑えるね。


ボストン
(13.12.22)
 先月、日本からお金をもらってアメリカに留学している人達の会合があり、ボストン に行ってきた。ボストンへは、シカゴから飛行機で2時間強。まず、ボストンに着いて最初に感じたのが、

街がキレイ!

明らかにシカゴとは違う雰囲気を漂わせており、その印象は滞在中まったく変わることがなかった。

 ちょうどボストンへ行った時に、レッドソックスの優勝パレード が行われていて、地下鉄の中は 発狂寸前の テンションあがりまくりの若者 や、赤いユニホームを身にまとった人々で溢れかえっていた。
 そんな混雑を尻目に、アツローは会合が開かれるハーバード大へ。途中、地下鉄で2駅手前にあるマサチューセッツ工科大(MIT)にも立ち寄り、見学した。MIT は、駅を降りたところからキャンパスや様々な大手企業のオフィスが広がっており、単科大とは思えぬ広大さに正直、度肝を抜かれた。さすが世界を代表する大学だな… 今度は知り合いに頼んで、研究室も見学させてもらおう!

 アメリカの大学らしく、大学グッズも充実していた。その中に、右のような数式の書かれた Tシャツ が売られていたのだが、これが何を意味するかみなさんわかりますか??
 実はこの数式は変形すると、m i t となる。ボクはしばらく気が付かなかったが、う〜ん、なかなか面白い。でも、これを面白いと思うのはたぶん理系の人間だけだろうな。マニアック(笑)

 ハーバード大は、MIT とは雰囲気が全然違いレンガ作りの建物が多く、静かでどっしりと落ち着いた印象を受けた。キャンパス内の紅葉がとてもキレイだった。

 会合では、アメリカでポジションをとって研究室を主催する日本人の方の話や、同世代の方と知り合いになることができ、とても良い機会になった。夜は、知り合い達と 夢を語れ というラーメン屋に行った。(ボクは知らなかったが…)京都では有名な店で、いま流行の “二郎ラーメン” という野菜てんこ盛り・油たっぷりのラーメンだった。

最初の3口目 まで美味しく、あとは満腹感との闘いであった (^ ^;)

しかし、日本人に限らずアメリカ人まで行列を作ってラーメンを食べるってスゴいね。


(左)MIT のキャンパス。 (右)きっと偉い人の像なんだろう。。。


 翌日は、ボストン観光へ。ノースウェスタン大から一緒に行った ナイキくん、阪大時代からの朋友で現在 MIT にいる サトーシ (& サトーシ嫁)、そして同じく阪大時代に知り合い、MIT を経て現在ボストンの法律事務所ではたらくエリザベス(通称、ザベス)一家と合流。ボストンに行ったもう一つの目的は、ボストンに居る友人達に会うためでもあったのだ。ザベスとそのダンナ(セルジオ)には、テキサスオースティンを訪れたとき にも世話になったが、結婚した二人の間に、今年新しい家族が増えたのであった。

 ボストンは、街中を歩くだけで楽しい。歴史的に見てもそうだが、どこか ヨーロッパ の街のニオイがする。危ない雰囲気も全くなかった(← だからこそ尚更、ボストンマラソンの事件は全米の人々に衝撃を与えたのだろう)。

シカゴより断然いいじゃん 。いい大学もたくさんあるし…

と感じてしまったのは事実だが、ボクはいまシカゴで "The US" な雰囲気を味わっているということで、納得することにした(笑)


↑ 歴史的な建物と近代的なビルが交叉するボストンの中心部。


(左)高級住宅街の一角の他人の家前で、ザベスと。
(右)ザベスとセルジオの子供、ルカ。初めて、犯罪 (赤ちゃん泥棒) に手を染めそうになった。

 ボストンには、わりと珍しく イタリア人街 もあり、セルジオ(イタリア系アメリカ人)の案内でイタリアンレストランやパティスリー(お菓子屋さん)に連れて行ってもらった。時間はあっという間にすぎた。2日間じゃ足りなかったな。また是非とも訪れたい!


(左)Samuel Adams という 政治家 の像。この名にちなんだ、ボストン発のビールがアツローのお気に入り。この像を見るまで、Samuel Adams は、ただのビール会社の創業者だと思っていた (^ ^;)
(右)Boston Common という中心部にある大きな公園で、みんなと集合写真。


ターキー感謝祭
(13.12.4)
 先週木曜日は、Thanksgiving Day というアメリカの祝日だった。ハロウィンやクリスマスと比べると、日本にはあまりなじみのない祝日。何をするのかというと、

(1)実家に帰る。
(2)ターキー(七面鳥)を食らう。


ぇ、それってクリスマスにやることじゃないの!? と思ったが、どうやら Thanksgiving Day もクリスマスと同じことをするらしい。クリスマスは、ターキーではなく、ハムを食べる家庭もあるとか。

 で、アメリカ人の多くは実家に帰ってしまったので、同じグループのドイツ人ポスドク(Tobi)が、実家に帰る当てがない人達による インターナショナルな パーティーを企画してくれた。参加者は、ドイツ人・イタリア人・ネパール人・アメリカ人・日本人・ナイジェリア人・ペルー人(← たぶんペルー人には初めて出会った)。



 多国籍パーティーということで、それぞれ自国の料理を持参せよ との指令が出ていたので、クスクス(アフリカ料理)やイタリアンチーズ盛りなど様々な皿が並んだ。ボクは松茸ご飯の素を使って、炊き込みご飯おにぎり(海苔つき)を作った。納豆も持って行ったが、どれも美味しい料理ばかりだったので、やや気が引けて出すタイミングを逃した(笑)
 おにぎりは概ね公表で、みんな興味津々で食べてくれた。メインディッシュのターキーは、ホストである Tobi とガールフレンドが準備してくれた。

バカうまっ

ターキーといえば、昔、フロリダのディズニーワールドの売店で買って食べたヤツがえらい不味かったのが頭にこびりついていたが、今回ので払拭できたかもしれぬ。ドイツでおなじみの、オレンジジュースで割った温かいワインも美味しかった。



 Tobi と彼女に Thanksgiving!!

 因みに、翌日の金曜日は "Black Friday" といわれ、色んな店で値引きセールをするのが恒例らしい。なぜ "Black" なのかというと、店が黒字になるからだとか。ちょうど日本の初売りみたいなもので、安売りに熱狂して朝から買い物に出かける人もいれば、「そんな人混みで買い物なんかしたくないわ」と冷めた人もいるようだ。アツローはもちろん後者で、安売りだからといって余計な買い物をせず質素に過ごした。


大学の研究室
(13.12.1)
 アメリカの新年度は9月に始まる。理系大学院生は、それから約2ヶ月後に研究室に所属する。その間、色々な研究室を回り、じっくり研究室選びをすることができる。ただ大学院生といえども、こちらは教授に雇われて 給料をもらう身 なので、教授側にも選ぶ権利がある。教授に ダメ! と言われたら、所属できない。もっとも、人手がほしい研究室はそれなりに予算のある研究室が多いので、所属を断られたり、クビになった学生は今のところ見たことがないが…
(※ そりが合わずに、研究室を変える人はしばしば見かける。あれは気まずくないのかな…!?)

 「少しでも良い学生を」 というのは、研究室もサークルなどの団体もみな同じで、この数カ月間ユーモアあふれる宣伝の張り紙があちこちに貼られていて、面白かった(左は学生センター前、右は化学科ビル内のドア)。日本でも “オープンラボ” といって研究室を開放するが、もう少し真面目なイベントが多いかな。新入生にビールを出して勧誘、なんてことはあり得ない!(笑)



 その他、研究室選びで日本と少し違うなぁと思ったこと。まず、男子学生の方が多いとはいえ、日本よりは理系女子( リケジョ )の割合が多い。なので、なんとしても女の子を勧誘しようと奔走する男子学生や、逆に先輩女子の居ない研究室はヤダーと思い悩む女子もいない。ある意味、自然体。


 あと、日本では研究室選びをする学生がよく、

「研究室って、何時から何時までですか〜?」

と訊いてくるが、この類の質問を 一度も耳にしなかった 。日本だと、半強制的に深夜まで残らなければいけない雰囲気の研究室があったり、余りに生活時間の乱れた学生くんを矯正するため “コアタイム” を設けている研究室があったりするからね…。こちらの研究室では、受入側も新入生側も

自分で判断して自己管理
色んな人からよく耳にするのは、"None of My Business"(← 私の知ったこっちゃない)

という態度の人が多いのかな。因みに(数は少ないけど…)、アメリカでも夜行性の学生や、朝遅く来て夕方帰る学生などもいる。夜研究室に泊まるなんてボクにはもう無理だなぁ、若いなぁ…、でも安全だけには気を付けてもらわないとね。


お手洗いでは手を洗え
(13.11.23)
 先週、大学の男子トイレに こんな張り紙 が(左)↓



 その数日後、張り紙が こんな風 に(右)↑↑↑


 そもそも、こんな張り紙がわざわざ貼られた経緯がよくわからないのだが…、男子学生が知り合いの男性教員に不快感を示したということなのだろう。
 はて、ではこの張り紙を引きちぎったのは、教員 張本人 か?だとすれば、

「意地でも手は洗わないぜ!」

という意思表示か?(笑)

 どーでもいいが、こんなことは身内でやってくれ。訴訟の国、アメリカ!


チョークトーク
(13.11.23)
 毎週金曜日に、比較的分野の近い5〜6研究室の教員・研究員・学生が集まるセミナーがある。発表者は博士研究員(ポスドク)か学生で、使えるのは 白チョークのみ 。インフォーマルな会ではあるが、教授陣もバンバン質問してくるので、発表者にとっては絶好のアピールチャンスである。逆に「こいつショボイな」と信頼を失う危険性もある。 聴く方も、他研究室の人の研究を学んだり、参加者と仲良くなるチャンスなので、非常に有意義である。
 日本でこういうセミナーをやっている大学は少ないだろう。少なくとも、ボクの周りにはなかった。。。もったいない。研究室間の垣根の低さ は、アメリカと日本の研究室の大きな違いの一つであり、垣根の低いアメリカの方が(良い研究を生み出す上で)優れたシステムだと思う。もちろん、アメリカにも教授同士の不仲とかライバル関係とか、裏事情はチラホラあるけど(笑)

 もし、次の職を日本で得ることになったら、アメリカの大学の良い点はどんどん取り入れていきたいものですな。

 話を戻すが、アメリカではこの チョークトーク が伝統的に存在するようで、大学教員の面接などでもパソコンを使ったプレゼンテーションとは別にチョークトークの時間が設けられることが多いようである。日常的にも、(ホワイトボードとマジックではなく)黒板とチョークを頻繁に用いる。

 ボクの居室前の廊下にも 黒板 があり、よく真面目な大学院生が 熱くディスカッション している →→→

 …と思ったら、今日は誰かが ○×ゲーム & お絵描き して遊んでいたようである。小学生の頃、石をチョーク代わりにして、コンクリート地面で ○×ゲームしていたのを思い出すなぁ。


ハッピー・ハロウィン
(13.10.31)
 今日は ハロウィン

 日本でも多少は盛り上がる (!?) ようだが、アメリカはそれ以上だ。スーパーには、でっかいカボチャが山積みされる(← それを真剣に吟味している同じ研究室の女の子を見てしまった。)

 それから仮装。今日は、大学内で

ピカチュウとバットマン

(の着ぐるみ人間)に出くわした。うちの研究室のイケメン、ブライアンは、報告会の発表を ウォーリー になりきって行った。幸い、発表自体は論旨明快すっきりしていたので良かった。

 この調子だと、クリスマスは一体どうなるのだろう?ミシガン湖沿いの高級住宅街の飾り付けにも注目!


春夏秋冬冬冬冬冬
(13.10.22)
 またしばらくご無沙汰してしまいました。

 こちらはすっかり寒くなり、本日、最低気温が 氷点下 突入でーす。ダウンジャケットなしでは無理。室内はシャツ一枚だけど。

 頭の方も冬モードに突入したのか、帰宅時にスーパーで買う物メモ作ろうとして、ハンドソープバンドギャップ (←科学用語)と無意識に書いてた。こりゃイカんな。。。

 せめて気分くらいは…ということで、先日、ノースウェスタン大に訪問しに来てくれた友人から頂戴した

松茸ご飯

を作った。奇跡的な旨さだった (^ ^)/

 ありがとう!

 さらに、近くの日本人経営の寿司屋の店内に食料品売場があり、納豆や焼きソバも手に入ることが判明。(因みに、納豆は4パックで 2.8 ドル 。日本の倍以上の値段だが、外食するより断然安くて旨い。)

 そして、今週末は Kellog 日本人会(Kellog: ノースウェスタン大のビジネススクール)主催の

さんまつり (← 名称は「秋刀魚の会」とかフツーだったと思う。)

に参加予定。というわけで、食だけはなかなかの充実っぷり。日本の を堪能中。なぜか、日本食は 飽き が来ないのである。


物乞いにみる雇用機会
(13.9.30)
 近所のスーパーの入り口に、 の帽子をかぶり、小銭の入ったビンをチャラチャラ揺らしている レゲエ風のオッサン が頻繁に立っている。所謂、物乞いのオッサンである。

 よく見かける光景ではあるが、このオッサンは他の物乞いの人とは 少し違う。やたらと愛想が良く、言葉遣いも丁寧で、感じが良いのである。

 一般的に物乞いの人にお金をあげる人・声をかける人は少数だが、みんなこのオッサンとだけは挨拶をする。いつもボクにも

"Good evening, sir. How are you?"

と言ってくる。ただ一つ気にくわないことがあって、それはボクが挨拶を返すと、"謝謝" とドヤ顔で中国語を言ってくる事である。ある日、いつものように “謝謝” と言われたので、思わず

“I'm a Japanese” と言ってしまった。そしたら、このオッサン、間髪入れずに

“Arigato!!” と、やはりドヤ顔で重ねてきた。

すげー、このオッサン日本語も知ってんじゃん!ってかさ、日本語も知ってるのに「謝謝」言われ続けてたってことは、ボクの事を中国人だと思ってたんだね。。。

 しかし、ボクがスーパーに立ち寄る 21時過ぎまで立って物乞いする根性があって、かつ人当たりも良く、色んな国の言葉まで知ってるくらいなら、なんか仕事あるでしょうに。。。

 そして、この前 さらに衝撃の 事実が発覚した。いつもより遅め(22時くらい)にスーパーに立ち寄り帰ろうとしたら、そのオッサンもちょうど帰るところだった。 "Have a good one!" とニコニコしながらボクに挨拶してきたそのオッサンがまたがっていた自転車、 Schwinn の自転車だった。Schwinn といえば、ロードバイクで有名な 高級ブランド である。

オッサン、そんなもんどこで手に入れたんだよっ
ってか、働けよ!いや、働いてるのか!?


 物乞いしているのに、アツローよりも良いチャリに乗ってるこのオッサン。日本でも問題になっている生活保護の不正受給者を思い出してしまった。今後も要観察人物である (^ ^;)

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 ところで、アメリカは日本とは比べものにならないくらい格差が激しい。そして、(人種差別する気はなくとも)それぞれの仕事に就く 人種の “傾向” というのは確実に存在する。

 毎日、研究室の掃除をしに来てくれる人達がいる。非常にありがたいが、日本だったら学生が自分達でやるような事(自分の使うスペースなのだから、ある意味当然だ)に、わざわざ人を雇うなんて無駄だと最初は思っていたんだが、どうもそんな単純な事ではないらしい。つまり、様々な能力や境遇の人がいる以上、それぞれに見合った雇用を生み出す必要があるのだと。これは大学レベルというよりは、国として雇用を生み出し、コントロールしているように思える。

 因みに、掃除に来てくれる人達は、ほぼ確実にヒスパニックか黒人であって、そこに白人はいない。この事実の裏に潜む課題や問題は、根が深そうである。

 日本に居る時はあまり意識したこともなく、寡聞にして知らないが、日本は雇用というのをどこがどの程度どうやってコントロールしているのだろう?日本は、アメリカとは状況が違い比較的均一性が高いので、制御しやすい気もするんだが。。。


風鈴、年輪、ボク…
(13.9.29)
 ジーンズのおしりに穴が開いてしまったアツロー。ネットでユニクロのジーンズを買おうとしたが、

「裾直ししてもらえないのは困るなぁ。。。」

ということで、とりあえず近所の Gap へ。そこで初めて知ったが、アメリカは日本のように丁寧に裾直しのサービスをしてくれないのね。店で買う意味ないじゃん…

 でも、ウェストだけでなく足の長さにも種類があって、気に入ったジーンズを見つけられたので、

ウェスト29、長さ30

という、つまるところ ちんちくりん用 のジーンズを店で買ったのであった。「長さ30」というのは、アツローでもさすがに「ちょい短くね?」と見栄を張りたくなるくらいの長さではあるが、「長さ32」だと裾直しが必要になるので諦めた。

 さて翌日、同じ研究室のトム君と「日本では裾直し無料でやってくれるぜ」などと話していた。

「ところで、トムのそのジーンズ、サイズいくつ?」

トム「ウェスト32、長さ34 だよ」

「ふーん、えっ!? それで裾直し要らないの?(・・;)」

トムの身長は約 185 cm。アツローの身長が 173 cm だから、ジーパンの長さの違い(4インチ、約 10 cm)はほぼ 足の長さの違い ということになる。切ねぇ。。。

 しかしホント欧米人は手足が長く、身長も横もデカい人が多いな!日本だと平均身長くらいのアツローも、研究室の同じ部屋にいる男の中で ダントツのチビ なんだが…。

 因みに、この前散髪に行って、“いつも通り” の虎刈りカットにされたので、足から頭のてっぺんまで、アツローは 全身ちんちくりん であります ( ̄。 ̄)


仏の独り歩き -3-
(13.8.25)
 以下、リンダウ会議での様子を、日付順ではなく項目別に↓↓↓
(似た内容でもう少しフォーマルなものが、支援してもらった日本の独立行政法人のホームページにそのうち『参加者の声』という形で載るかもしれませんが、アツロー本人が書いたものなので、問題はないでしょう。)

■■■ 講演 ■■■
 7月1日から、本格的に講演が始まった。講演者は全てノーベル賞受賞者というスゴい顔ぶれで、気を抜けるところがなく、朝9時から "政治的なイベント" (← 各国・各地域のお偉いさんが登場してのアピールタイム) を含めると夜8時くらいまで毎日スケジュールが詰まっていたので、けっこう疲れた。

 ノーベル賞受賞者として、今回日本人として唯一参加されていた北大の 鈴木章先生(自身の名を冠する Suzuki Coupling の開発者)は、淀みなく反応開発の着想やその後の Suzuki Coupling の拡がりについて、わかりやすく解説して下さった。

 全体的にみると、鈴木先生のように「どのようにノーベル賞受賞につながる研究に辿り着いたか」について話してくれた先生方は少数派で、むしろ最近の研究成果や、環境問題への提言、研究以外の話など完全に “我が道を行く” 発表をされる方が多かった。おそらく、ノーベル賞受賞につながった研究に関しては幾度となく発表されてきたことと、ノーベル賞受賞者にとってはノーベル賞はあくまで「通過点」であるという認識の方が多いのだろう。

 しかし、それらの発表が退屈なものであったというわけではない。中でも Steven Chu 先生 の講演は印象的だった。Chu 先生は、レーザー冷却による原子の捕捉に関する研究でノーベル物理学賞を受賞されているが、会議での発表は地球温暖化に関連する気候変動についてであった。実際、Chu 先生は 2013 年4月まで、米国エネルギー長官の職にもあった。ノーベル賞受賞に至った研究とは全く異なる複数の大きなテーマを展開する世界観には、科学者として大いに刺激を受けた。講演を聴きながら、ボク自身の大きな研究テーマをどのように設定するべきかについて、常に頭が巡っていた。


■■■ ノーベル賞受賞者との交流 ■■■
 リンダウ会議の最大の魅力は、講演の時間以外にもノーベル賞受賞者と直接お話しする機会がたくさんあることである。講演の合間に「便所どこ?」とボクに訊いてきた オッサン が、実は ノーベル賞受賞者 なんていうこともあった (^ ^;) 先の鈴木先生とも言葉を交わす機会があり、

「うちのじいちゃん、ばあちゃんは札幌です。」

と伝えたら、「今度、札幌に来たら気軽に連絡して下さい。」と言って下さった。鈴木先生、アツローは ホントに気軽に連絡ちゃうかもですよ (^ ^)/

 講演とは別に、各々が希望する先生の所へ行き、3-40 人程度の比較的少人数でディスカッションするという時間も設けられていた。
 詳しくは書かないが、アツローが阪大時代に勉強しまくった 電子移動理論 (字の如く、分子レベルで電子がどのように移動するかを説明した理論)を築き上げた Rudolph Marcus 先生 とのディスカッションは非常に胸が高ぶった。Marcus 先生は、われわれ若者からの全ての質問に対し、もうすぐ90歳のご高齢とは思えぬほど明快かつ丁寧に受け答えしてくださった。その一言一言が深い洞察と理解に裏打ちされており、物事をちゃんと考えている人の言葉というのはこんなにも重く感じるものなのか、としみじみ思った。

(左)鈴木先生と共に (右)マーカス先生、トロント大の小林さんと共に


■■■ 若い世代との交流 ■■■
 世界中から人が集まり、みんなほぼ誰も知らない状態からスタートするので、色んな人に気軽に声をかけられる雰囲気であった。ボクも、アメリカ、スイス、ドイツ、イタリア、イスラエル、韓国、中国、台湾、日本、東ティモール、カメルーン、オーストラリア、フランス、インド、バングラディッシュ、チェコ… 数えきれないくらいの人と話した。滑り出しは毎回同じで、「日本人です」「日本のどこから?」「いや、今はアメリカ」「アメリカの何大学?」 というやり取りをしていたが、途中から疲れたので冒頭に

「アメリカのノースウェスタンでポスドクやってる日本人です」

と一気に言うことにした (^ ^;)

 アカデミックポジションを探している各国のポスドク(博士研究員)と個人的に情報交換できた事は、非常に有益であった。あるポスドクとは会議後も連絡を取っており、アカデミックで独立して生きていこうとする彼/彼女らが何を考え、実行に移しているかを知ったことは、ボクの将来の選択に少なからず影響を与えることになると思う。

 日本人の方にもたくさんお会いした。ほとんどの人が活動の場を日本国内に限定せず世界を見据えて研究しており、刺激を受けた。国際的な経験を通じて、奢らず、いたずらに自らを卑下することもなく世界を相手に研究できる感覚を持った日本人がもっと増えて、日本を支えないといかんなと思った。この辺の話は、近頃毎日のように考えているので、また機会を改めて書こうと思う。


■■■ 街並みと食事 ■■■
 リンダウは感動するほどの街ではないが、綺麗で良い所だった。あと、エクスカージョンで行ったマイナウ島は、お花がたくさんあってリゾート感いっぱいだった。




 食事は、全然苦労しなかった(出先だと、日本食も恋しくならないので…)。さすがドイツビールは美味しかったなぁ。



■■■ 帰米 ■■■
 7月6日、長いようで短いような仏と独での滞在を終え、再びシカゴへ。まずは行きと同じく、電車でリンダウからチューリッヒへ。ちゃんと下調べせずに電車に乗ろうとしたら、乗り継ぎがたくさんあってよくわからなかったが、たまたま会議で一緒だった方に案内してもらえた。

 電車の中は、スイスの軍人 だらけだった。永世中立国スイスはこの人達に守られているのね。たぶんあの強そうな軍人さんに軽く引っぱたかれたら、ひ弱アツローは骨折するだろう。。。

 チューリッヒの空港は、明るくて綺麗で、お店もたくさんあって時間を潰せた。爽やかな気分に浸りながらチェックインを済ませ、出国審査へ。

審査官:「入国のスタンプがありません が、どこで何してたんですか?」

ぁ、やべぇ。すっかり忘れてた ( ̄▽ ̄;)!! やっぱ、フランスで入国審査なかったのって、普通じゃなかったんだ… まぁしかし、今さらどうしようもないし、別にボクが悪いわけでもないので、正直に日程を言ったら、

審査官:「そうなの!? まぁいいや。ポンッ(←スタンプ押す音)」

か、軽っ w(゚o゚*)w …というわけで、一瞬ビビったけど無事にアメリカに帰ってくることができたのでした。せっかくだから、フランス入国のスタンプもほしかったけどな…。

(註)因みに、アメリカにビザで来ている人がアメリカ国外に出る時は、ビザ付きパスポートの他に、受入先の出国許可サイン入りの DS2019 という書類が必要ですので、もし読者の中で今後該当する場合はお気を付け下さい。同じくノースウェスタン大からリンダウ会議に参加していた韓国人の女の子は、この DS2019 の書類を忘れ、入国審査でつかまっていました…

 そんなわけで、大西洋横断の旅は終わり。次回からは、

サト〜シ・アツローの New York 珍道中

を更新予定ですので、乞うご期待。

 --- 最初から読む→ 『仏の独り歩き -1-』 ---


動く粗大ごみ
(13.8.12)
 ある日の、ボクが住むアパートのゴミ捨て場→

 一瞬目を疑ったが、うん、やぱりこれはどう見ても Jewel-Osco (シカゴ周辺のスーパー) の 買い物カートだよな…

 アパートからスーパーまで 5, 6百メートル はあると思うんだが。あのデコボコ道を、このカートを押してくるなんて、むしろ面倒くさいんじゃないかと。しかも、それをゴミに捨てるって…どうなの yo!!

 はて、このカートはゴミ収集されるのだろうか?…と思っていたら、翌日、ゴミとともに消えていた。


仏の独り歩き -2-
(13.8.11)
■■■ 6月29日 ■■■
 昨晩はワインも飲んだが、幸い頭痛はなかった。再びベノワと集合し、午前中はベノワのベンチャービジネスについて真面目な打ち合わせ。うまくいくといいな…

 その後、パリに戻る電車に乗るまで時間があったので、ベノワ嫁の運転で隣町の ボーヌ(beaune) に連れて行ってもらった。
 ボーヌに行く途中の景色は、the ブドウ畑 って感じで、それぞれの村がブルゴーニュワインのブランドを生み出している(ロマネ・コンティ、シャルドネ、ポマーとか…)。所々に中世の城(シャトー)があり、とても美しかった。大きなワイン倉庫もあり、そこには数え切れないほどの樽と瓶詰めされたワインが置かれていた。様々なブルゴーニュワインを少量ずつ試飲することもでき、「赤ワインも悪くないな」 と思った。(← すぐに影響される & 上から目線のアツロー)

余談:最近、シャトーの一つが中国人に買収されたらしく、物議を醸しているらしい。ベノワは賛成派、ベノワ嫁は反対派で、車の中で議論していた。ボクは後部座席で「姫路城を中国人がお買い上げして住み始めたら、どんな気分かな…」とひとりで想像していた。

 ランチはのどかで感じのよいレストランへ。カエルの脚 を食した。味はチキンと同じで美味しかったが、骨が多くて食べづらかった。ベノワが注文したビーフの赤ワイン煮込みの方が、もっと美味しかった。ベノワ嫁は、ワインの試飲でもレストランでも「私は運転するから」と言ってほぼ(つまりゼロではないが…)酒を飲まずに、マニュアル車のプジョーを乗りこなしていた (^ ^)


 ボーヌは、パリなどの大都市とはぜんぜん違う良い雰囲気があり、フランスのこういう街で生活できたら幸せだろうな…と思った。(← すぐに影響されるアツロー)

(左)ベノワもさすがフランス人、すぐにイチャつきタイムが始まる(笑)
(中)ボーヌの街並み。写り込んだ女の子たちはそうでもないが フランスの人は老若男女、シカゴ周辺の人よりオシャレな割合が高い気がした。
(右)昔、貧しい人達を無料で治療したという、ボーヌのホスピス(施療院)。当時のベッドや薬品、教会などが展示されている。ワインを売って収入を得ていたらしく、ワインのオークションは今でも毎秋開催されているらしい。外観の屋根は、ブルゴーニュ地方伝統模様の瓦で彩られている。

 ボーヌで楽しい一時を過ごした後ディジョンに戻り、そのままパリ行きの電車に。今回のディジョン訪問は、ベノワやベノワ嫁、先生方に温かく迎えてもらって、本当に実り多きものとなった。このような関係を築くきっかけを学生時代に与えてくれた、阪大の先生にも感謝しないとな。。。いつか再びディジョンを訪れることを、心に決めたのであった。


■■■ 6月30日 ■■■
 パリ、シャルル・ド・ゴール空港近くのホテルに宿泊。朝一で空港へ行き、いよいよ元来の目的地である リンダウ へ!まずはパリからスイスのチューリッヒへ移動。スイスエアラインのチェックインの列に並んでいたら、たまたまボクの前にいた方が日本人のおばさまであった。何気なしに話を始めたら、旦那さんがフランス人の 化学者 らしく、色々と話が通じた。日本で出会って結婚したフランス人の旦那、娘と共にナンシーに長年住んでいるらしく、久しぶりに日本に里帰りするとのこと。フランスに来た当初の苦労話とか、娘は日本語が下手だからたまに日本に送り込んでいるとか、有機化学者の旦那が家に帰ってくると “薬品臭い” とか、出発までずっと話していた。フランス語はペラペラだったが、旅慣れた風も気取った感じも全くなく、こういう日本人もいるんだな〜と思った。

 パリの空港は、セキュリティチェックがゲート直前にあり出国のハンコなども一切ないので、楽だった。前述した通り入国審査もなかったので、パスポートにはフランス滞在の証拠が何も残らなかった。
(↑ 帰国時に、この 空白の時間 を空港職員に尋ねられることになろうとは、アツローはまだ知らないのであった…)

 無事にチューリッヒ空港に到着(ここでも入国審査なし)、そこから電車に乗り継ぎリンダウへ。
(右写真:Mac がパクった (!?) 疑惑で話題になったスイス鉄道の時計。秒針がかっこいい。)

 この間、スイス → オーストリア → ドイツと国境をまたいだが、ヨーロッパ内では全くそれを感じることがなかった。

 リンダウの駅から会場へ直行、受付を済ませる。その後、オープニングセレモニーやウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏を覗いてみた。第一印象としてこのリンダウ会議、

金のかけ方がハンパねぇ (・・;)

 ノーベル賞受賞者と若者の対話というのが本会議の主目的として謳われていて、実際そうだったのだが、これだけのノーベル賞受賞者を集める開催者の威信というか、政治的なアピールも生々しく感じた。


(左)ノーベル賞受賞者は、どこへ行くにも特別車で送り迎え。
(右)リンダウの灯台とシンボルのライオン。

 ホテルにチェックインした後、夜はバンケットに参加した。その辺にいた人達と仲良くなり、バンケット後も10人くらいで近くのバーへ行った。バーでトイレに行ったら、DamenHerren というドイツ語の表記のみがあった。絵がないので、どっちが男性用かよくわからなかったが、

ヘレン は女性の名前だし、Damen → Men …どう考えても男だろっ

と思い、確認せずに入ったら、見事に逆 だった (^ ^;) しかも、運悪く女の人がいてチョー気まずい感じになった(苦笑)訴えられなくてよかった。。。学部時代、第二外国語でドイツ語選択だったのだが、何一つ覚えてなかったぜぃ。(おそらく、今後間違えることはないだろうが!!)

 --- 『仏の独り歩き -3-』へ続く ---


仏の独り歩き -1-
(13.8.10)
 6月終わりから7月はじめにかけて、日本の独立行政法人からの支援を受け リンダウ会議 というミーティングに参加する機会を得た。このミーティング、参加者は ノーベル賞受賞者35人と若手研究者約500人のみ (あとはメディアと各国の偉い人)という、他に類を見ない集まり。学会の名の通り、ドイツのボーデン湖ほとりにあるリゾート地 "リンダウ" で開催され、今年で63回目を数える。

 さらに、以前滞在していたフランスの ディジョン の先生とたまたまメールのやり取りをしていて、リンダウに行くと話したら「ディジョンにも来い」と呼んでくれた。そこで、リンダウ会議前にディジョンに立ち寄り、(交通費と滞在費を出してもらう代わり(?) に)1時間の研究発表をすることになった。

 滞在中はずっと中身が詰まっていて、実況中継ができず事後報告の形になってしまったが、その時の様子を少し…まずは、フランス編 から。


■■■ 6月26日 ■■■
 シカゴからパリへ初めての 大西洋横断!! といっても、ボクは飛行機はいつも通路側に座るので、何も景色は見えなかった。目に入ってきたものといえば、近くの席の 超アメリカンサイズのレディ機内食を2つ 食べていたことくらいか。この人が隣じゃなくて助かったわ…それでなくとも、ユナイテッドは、最近乗った中では一番乗り心地が悪かった (> <)


■■■ 6月27日 ■■■
 パリのシャルルドゴール空港に到着。パリではなぜか入国審査がなく、スタンプなしで素通り だった(笑)あまりのテキトーさに逆に不安になった。アメリカも見習ってほしい (^_^;)



 空港からバスに乗って、ディジョン方面の電車(TGV: 仏版新幹線)の発着駅 Gare de Lyon に移動。パリは4年半ぶりだったが、不思議と記憶が蘇ってくるもので、切符売り場とか昔泊まったホテルの場所とかまで思い出した。パリはやっぱり綺麗な街並みだな、と思った(よくよく見ると結構汚いんだけど…)。前はなかったと思うのだが、レンタサイクルが至る所に整備されていた(右上写真、奥に見えるのが Gare de Lyon)。今回はパリを観て回る時間はなかったけど、次の機会にはチャリンコでパリを周ってみよう!

 TGV で2時間、ディジョンに到着。駅のホームまで、ベノワ が迎えに来てくれていた。ベノワは、ボクらが学生のときにお互いフランスと日本を行き来して一緒に研究した研究仲間、かつ最高の友人である。今は彼も博士号を取得し、ベンチャービジネスの CEO として奮闘している。およそ3年ぶりの再会であったが、一瞬で以前の空気感に戻った。

 ホテルに荷物だけ置いて、早速ブルゴーニュ大学へ。ディジョンの街並み(左下写真:雨だけど、可愛らしい中心地)も基本的には変わっていなかったが、新しく トラム(路面電車) ができていて、以前よりも格段に便利になっていた。大学で懐かしのメンバー達と久しぶりに顔を合わせて、とても嬉しくなった。その後、ベノワと教授と3人で夕飯へ。シャレオツなモダンレストランで、フォアグラ、魚料理などを白ワインと共に。アメリカのレストランと違い、「ハズレメニューだったらどうしよう…」とビクビクせず安心して食べられた (^ ^;)


■■■ 6月28日 ■■■
 朝、大学へ行き1時間の研究発表を行った。真面目に発表したつもりだったが、ベノワに撮ってもらった写真を見たら、(無意識のうちに)発表中に流行りの「今でしょ!」ポーズをしてふざけていたことが判明した。ま、何とか無事に終了!



 ランチは、教授2人とベノワと4人でブルゴーニュ伝統料理を出すレストランへ。教授が「発表終わったからいいでしょ」と言って 昼間っからワイン を注文、フランス流の接待をしてくれた。実はボクは偏頭痛持ちで、経験的にワインを飲むとその発症率が高くなるのがわかっていたので、頭痛薬をカバンに忍ばせ警戒しながら飲んだが(← ブルゴーニュワイン好きの皆様に怒られると思う…)、幸い頭痛も発症せずに美味しくワインとご馳走をいただいた。


(左)食前に、本物の キール(カシスをブルゴーニュ白ワインで割ったもの)。
(中)これもブルゴーニュ名物、エスカルゴ。パイ生地の中に、たくさんいました(笑)
(右)メインディシュのチキン。ソースはもちろん、 ディジョンマスタード


 午後は、 ほろ酔いのまま 大学に戻って、ディスカッションと研究施設見学。色々な人とお互いの研究について情報交換でき、終わる頃には疲れ果てるほど有意義だった。特に研究所の大ボス(名誉教授)は、一時間以上 ディスカッションとアカデミックキャリアの話をしてくれた。以前、学生としてディジョンに滞在していた時とは明らかに接し方が異なり、駆け出しとはいえ一研究者としてボクと話をしてくれたのが嬉しかった。


 この日の夜はベノワが 自宅に招待 してくれた。ベノワはボクと同い年くらいだが、賃貸ではなく家を購入済み(ブルゴーニュワインの保管庫付き)というやり手である。フランスでは、家を買うと10年後には確実に高く売り抜けられるという、日本では考えられない状況が続いているらしい。ベノワと、ドイツの大学院に通う ベノワ嫁 と3人で夕飯を食べた。オーブンで焼いたステーキ肉(生クリームとチーズのソース)は絶品だった。ボクのお気に入りの “カンタールチーズ” を食べられたのも満足だった。

 ベノワがボクをホテルまで送ってくれる道すがら、二人で夜中のバーに入り再び飲む。色んな思い出話、そして将来の事、話は尽きず何時にホテルに戻ったか忘れてしまった。

 --- 『仏の独り歩き -2-』へ続く ---


やかんで湯を沸かす
(13.7.16)
 少し(だいぶ?)前に、アメリカで騒ぎになった やかん

 このやかんを売りだした JC Penny (アメリカの安めのデパート) のカタログがポストに入っていた。

 なぜ騒ぎになったか?…それは、このやかんの写真が ヒトラー を連想させるから、だそうだ。そう言われてみれば、たしかに…

 しかし、これで真剣にイチャモンを付けたという人がいるというのは、よく理解できん…。この騒動でこのやかんは バカ売れ品薄状態 だというから、JC Penny としては “棚ぼた” か、いやそれとも “してやったり” か。


やっぱ日本食やで!
(13.7.15)
 芸能人のブログじゃあるまいし、こんな写真を載せて誰が喜ぶんだ? という気はしないでもないが…先週末の夕飯は、我ながらメチャうまかった。


(左)先月帰国した日本人の知り合いの方にいただいた食材を使ってお好み焼き。なかなか手に入らないので、ソース・カツオ節の味は非常に懐かしかった。
(右)ポトフとおでんの間の子みたいなヤツ。アメリカのスペアリブ肉と、醤油ベースの出汁はいける!

 毎日、自炊している自分が信じられん。。。


蛍の光
(13.7.14)
 ヨーロッパから帰ってきて、ある変化に気付いた。エバンストンで、たくさんの ホタル (← 画像)が飛び始めたのだ!

 でも、エバンストンに綺麗な川があるわけでもないし、その辺の草むらにこんなにもホタルがいるのはなぜ??

 不思議に思って調べてみると、実はホタルは世界に何千種類もいて、必ずしも綺麗な水辺でしか生息できないわけではない。いや、むしろ日本の ゲンジボタル のような種の方が珍しいようだ。こんなに見られるのは嬉しいが、何とも有り難みは薄れる (^ ^;) 日本にこんなにホタルが居たら、

♪ほ、ほ、ホータル来い♪

なんて歌もなかっただろうし(そこらじゅうに居るがな、とツッコミが入る)、田中邦衛が

「ほ、ほ、ホタルー」

と叫ぶこともなかったかもしれない。


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Last modified 13.12.22