以下、リンダウ会議での様子を、日付順ではなく項目別に↓↓↓
(似た内容でもう少しフォーマルなものが、支援してもらった日本の独立行政法人のホームページにそのうち『参加者の声』という形で載るかもしれませんが、アツロー本人が書いたものなので、問題はないでしょう。)
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講演 ■■■
7月1日から、本格的に講演が始まった。講演者は全てノーベル賞受賞者というスゴい顔ぶれで、気を抜けるところがなく、朝9時から
"政治的なイベント" (← 各国・各地域のお偉いさんが登場してのアピールタイム) を含めると夜8時くらいまで毎日スケジュールが詰まっていたので、けっこう疲れた。
ノーベル賞受賞者として、今回日本人として唯一参加されていた北大の
鈴木章先生(自身の名を冠する Suzuki Coupling の開発者)は、淀みなく反応開発の着想やその後の Suzuki Coupling の拡がりについて、わかりやすく解説して下さった。
全体的にみると、鈴木先生のように「どのようにノーベル賞受賞につながる研究に辿り着いたか」について話してくれた先生方は少数派で、むしろ最近の研究成果や、環境問題への提言、研究以外の話など完全に
“我が道を行く” 発表をされる方が多かった。おそらく、ノーベル賞受賞につながった研究に関しては幾度となく発表されてきたことと、ノーベル賞受賞者にとってはノーベル賞はあくまで「通過点」であるという認識の方が多いのだろう。
しかし、それらの発表が退屈なものであったというわけではない。中でも
Steven Chu 先生 の講演は印象的だった。Chu 先生は、レーザー冷却による原子の捕捉に関する研究でノーベル物理学賞を受賞されているが、会議での発表は地球温暖化に関連する気候変動についてであった。実際、Chu 先生は 2013 年4月まで、米国エネルギー長官の職にもあった。ノーベル賞受賞に至った研究とは全く異なる複数の大きなテーマを展開する世界観には、科学者として大いに刺激を受けた。講演を聴きながら、ボク自身の大きな研究テーマをどのように設定するべきかについて、常に頭が巡っていた。
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ノーベル賞受賞者との交流 ■■■
リンダウ会議の最大の魅力は、講演の時間以外にもノーベル賞受賞者と直接お話しする機会がたくさんあることである。講演の合間に
「便所どこ?」とボクに訊いてきた
オッサン が、実は
ノーベル賞受賞者 なんていうこともあった (^ ^;) 先の鈴木先生とも言葉を交わす機会があり、
「うちのじいちゃん、ばあちゃんは札幌です。」
と伝えたら、
「今度、札幌に来たら気軽に連絡して下さい。」と言って下さった。鈴木先生、アツローは
ホントに気軽に連絡ちゃうかもですよ (^ ^)/
講演とは別に、各々が希望する先生の所へ行き、3-40 人程度の比較的少人数でディスカッションするという時間も設けられていた。
詳しくは書かないが、アツローが阪大時代に勉強しまくった
電子移動理論 (字の如く、分子レベルで電子がどのように移動するかを説明した理論)を築き上げた
Rudolph Marcus 先生 とのディスカッションは非常に胸が高ぶった。Marcus 先生は、われわれ若者からの全ての質問に対し、もうすぐ90歳のご高齢とは思えぬほど明快かつ丁寧に受け答えしてくださった。その一言一言が深い洞察と理解に裏打ちされており、物事をちゃんと考えている人の言葉というのはこんなにも重く感じるものなのか、としみじみ思った。
(左)鈴木先生と共に (右)マーカス先生、トロント大の小林さんと共に
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若い世代との交流 ■■■
世界中から人が集まり、みんなほぼ誰も知らない状態からスタートするので、色んな人に気軽に声をかけられる雰囲気であった。ボクも、
アメリカ、スイス、ドイツ、イタリア、イスラエル、韓国、中国、台湾、日本、東ティモール、カメルーン、オーストラリア、フランス、インド、バングラディッシュ、チェコ… 数えきれないくらいの人と話した。滑り出しは毎回同じで、
「日本人です」「日本のどこから?」「いや、今はアメリカ」「アメリカの何大学?」 というやり取りをしていたが、途中から疲れたので冒頭に
「アメリカのノースウェスタンでポスドクやってる日本人です」
と一気に言うことにした (^ ^;)
アカデミックポジションを探している各国のポスドク(博士研究員)と個人的に情報交換できた事は、非常に有益であった。あるポスドクとは会議後も連絡を取っており、アカデミックで独立して生きていこうとする彼/彼女らが何を考え、実行に移しているかを知ったことは、ボクの将来の選択に少なからず影響を与えることになると思う。
日本人の方にもたくさんお会いした。ほとんどの人が活動の場を日本国内に限定せず世界を見据えて研究しており、刺激を受けた。国際的な経験を通じて、奢らず、いたずらに自らを卑下することもなく世界を相手に研究できる感覚を持った日本人がもっと増えて、日本を支えないといかんなと思った。この辺の話は、近頃毎日のように考えているので、また機会を改めて書こうと思う。
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街並みと食事 ■■■
リンダウは感動するほどの街ではないが、綺麗で良い所だった。あと、エクスカージョンで行ったマイナウ島は、お花がたくさんあってリゾート感いっぱいだった。
食事は、全然苦労しなかった(出先だと、日本食も恋しくならないので…)。さすがドイツビールは美味しかったなぁ。
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帰米 ■■■
7月6日、長いようで短いような仏と独での滞在を終え、再びシカゴへ。まずは行きと同じく、電車でリンダウからチューリッヒへ。ちゃんと下調べせずに電車に乗ろうとしたら、乗り継ぎがたくさんあってよくわからなかったが、たまたま会議で一緒だった方に案内してもらえた。
電車の中は、
スイスの軍人 だらけだった。永世中立国スイスはこの人達に守られているのね。たぶんあの強そうな軍人さんに軽く引っぱたかれたら、ひ弱アツローは骨折するだろう。。。
チューリッヒの空港は、明るくて綺麗で、お店もたくさんあって時間を潰せた。爽やかな気分に浸りながらチェックインを済ませ、出国審査へ。
審査官:「入国のスタンプがありません が、どこで何してたんですか?」
ぁ、やべぇ。すっかり忘れてた ( ̄▽ ̄;)!! やっぱ、フランスで入国審査なかったのって、普通じゃなかったんだ… まぁしかし、今さらどうしようもないし、別にボクが悪いわけでもないので、正直に日程を言ったら、
審査官:「そうなの!? まぁいいや。ポンッ(←スタンプ押す音)」
か、軽っ w(゚o゚*)w …というわけで、一瞬ビビったけど無事にアメリカに帰ってくることができたのでした。せっかくだから、フランス入国のスタンプもほしかったけどな…。
(註)因みに、アメリカにビザで来ている人がアメリカ国外に出る時は、ビザ付きパスポートの他に、受入先の出国許可サイン入りの DS2019 という書類が必要ですので、もし読者の中で今後該当する場合はお気を付け下さい。同じくノースウェスタン大からリンダウ会議に参加していた韓国人の女の子は、この DS2019 の書類を忘れ、入国審査でつかまっていました…
そんなわけで、大西洋横断の旅は終わり。次回からは、
サト〜シ・アツローの New York 珍道中
を更新予定ですので、乞うご期待。
--- 最初から読む→ 『仏の独り歩き -1-』 ---
- 動く粗大ごみ
(13.8.12)
ある日の、ボクが住むアパートのゴミ捨て場→
一瞬目を疑ったが、うん、やぱりこれはどう見ても Jewel-Osco (シカゴ周辺のスーパー) の
買い物カートだよな…
アパートからスーパーまで
5, 6百メートル はあると思うんだが。あのデコボコ道を、このカートを押してくるなんて、むしろ面倒くさいんじゃないかと。しかも、それをゴミに捨てるって…どうなの yo!!
はて、このカートはゴミ収集されるのだろうか?…と思っていたら、翌日、ゴミとともに消えていた。
- 仏の独り歩き -2-
(13.8.11)
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6月29日 ■■■
昨晩はワインも飲んだが、幸い頭痛はなかった。再びベノワと集合し、午前中はベノワのベンチャービジネスについて真面目な打ち合わせ。うまくいくといいな…
その後、パリに戻る電車に乗るまで時間があったので、ベノワ嫁の運転で隣町の
ボーヌ(beaune) に連れて行ってもらった。
ボーヌに行く途中の景色は、
the ブドウ畑 って感じで、それぞれの村がブルゴーニュワインのブランドを生み出している(ロマネ・コンティ、シャルドネ、ポマーとか…)。所々に中世の城(シャトー)があり、とても美しかった。大きなワイン倉庫もあり、そこには数え切れないほどの樽と瓶詰めされたワインが置かれていた。様々なブルゴーニュワインを少量ずつ試飲することもでき、
「赤ワインも悪くないな」 と思った。(← すぐに影響される & 上から目線のアツロー)
余談:最近、シャトーの一つが中国人に買収されたらしく、物議を醸しているらしい。ベノワは賛成派、ベノワ嫁は反対派で、車の中で議論していた。ボクは後部座席で「姫路城を中国人がお買い上げして住み始めたら、どんな気分かな…」とひとりで想像していた。
ランチはのどかで感じのよいレストランへ。
カエルの脚 を食した。味はチキンと同じで美味しかったが、骨が多くて食べづらかった。ベノワが注文したビーフの赤ワイン煮込みの方が、もっと美味しかった。ベノワ嫁は、ワインの試飲でもレストランでも「私は運転するから」と言ってほぼ(つまり
ゼロではないが…)酒を飲まずに、マニュアル車のプジョーを乗りこなしていた (^ ^)
ボーヌは、パリなどの大都市とはぜんぜん違う良い雰囲気があり、フランスのこういう街で生活できたら幸せだろうな…と思った。(← すぐに影響されるアツロー)
(左)ベノワもさすがフランス人、すぐにイチャつきタイムが始まる(笑)
(中)ボーヌの街並み。
写り込んだ女の子たちはそうでもないが フランスの人は老若男女、シカゴ周辺の人よりオシャレな割合が高い気がした。
(右)昔、貧しい人達を無料で治療したという、ボーヌのホスピス(施療院)。当時のベッドや薬品、教会などが展示されている。ワインを売って収入を得ていたらしく、ワインのオークションは今でも毎秋開催されているらしい。外観の屋根は、ブルゴーニュ地方伝統模様の瓦で彩られている。
ボーヌで楽しい一時を過ごした後ディジョンに戻り、そのままパリ行きの電車に。今回のディジョン訪問は、ベノワやベノワ嫁、先生方に温かく迎えてもらって、本当に実り多きものとなった。このような関係を築くきっかけを学生時代に与えてくれた、阪大の先生にも感謝しないとな。。。いつか再びディジョンを訪れることを、心に決めたのであった。
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6月30日 ■■■
パリ、シャルル・ド・ゴール空港近くのホテルに宿泊。朝一で空港へ行き、いよいよ元来の目的地である
リンダウ へ!まずはパリからスイスのチューリッヒへ移動。スイスエアラインのチェックインの列に並んでいたら、たまたまボクの前にいた方が日本人のおばさまであった。何気なしに話を始めたら、旦那さんがフランス人の
化学者 らしく、色々と話が通じた。日本で出会って結婚したフランス人の旦那、娘と共にナンシーに長年住んでいるらしく、久しぶりに日本に里帰りするとのこと。フランスに来た当初の苦労話とか、娘は日本語が下手だからたまに日本に送り込んでいるとか、有機化学者の旦那が家に帰ってくると “薬品臭い” とか、出発までずっと話していた。フランス語はペラペラだったが、旅慣れた風も気取った感じも全くなく、こういう日本人もいるんだな〜と思った。
パリの空港は、セキュリティチェックがゲート直前にあり出国のハンコなども一切ないので、楽だった。前述した通り入国審査もなかったので、パスポートにはフランス滞在の証拠が何も残らなかった。
(↑ 帰国時に、この
空白の時間 を空港職員に尋ねられることになろうとは、アツローはまだ知らないのであった…)
無事にチューリッヒ空港に到着(ここでも入国審査なし)、そこから電車に乗り継ぎリンダウへ。
(右写真:Mac がパクった (!?) 疑惑で話題になったスイス鉄道の時計。秒針がかっこいい。)
この間、スイス → オーストリア → ドイツと国境をまたいだが、ヨーロッパ内では全くそれを感じることがなかった。
リンダウの駅から会場へ直行、受付を済ませる。その後、オープニングセレモニーやウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏を覗いてみた。第一印象としてこのリンダウ会議、
金のかけ方がハンパねぇ (・・;)
ノーベル賞受賞者と若者の対話というのが本会議の主目的として謳われていて、実際そうだったのだが、これだけのノーベル賞受賞者を集める開催者の威信というか、政治的なアピールも生々しく感じた。
(左)ノーベル賞受賞者は、どこへ行くにも特別車で送り迎え。
(右)リンダウの灯台とシンボルのライオン。
ホテルにチェックインした後、夜はバンケットに参加した。その辺にいた人達と仲良くなり、バンケット後も10人くらいで近くのバーへ行った。バーでトイレに行ったら、
Damen と
Herren というドイツ語の表記のみがあった。絵がないので、どっちが男性用かよくわからなかったが、
ヘレン は女性の名前だし、Damen → Men …どう考えても男だろっ
と思い、確認せずに入ったら、
見事に逆 だった (^ ^;) しかも、運悪く女の人がいてチョー気まずい感じになった(苦笑)訴えられなくてよかった。。。学部時代、第二外国語でドイツ語選択だったのだが、何一つ覚えてなかったぜぃ。(おそらく、今後間違えることはないだろうが!!)
--- 『仏の独り歩き -3-』へ続く ---
- 仏の独り歩き -1-
(13.8.10)
6月終わりから7月はじめにかけて、日本の独立行政法人からの支援を受け
リンダウ会議 というミーティングに参加する機会を得た。このミーティング、参加者は
ノーベル賞受賞者35人と若手研究者約500人のみ (あとはメディアと各国の偉い人)という、他に類を見ない集まり。学会の名の通り、ドイツのボーデン湖ほとりにあるリゾート地 "リンダウ" で開催され、今年で63回目を数える。
さらに、
以前滞在していたフランスの ディジョン の先生とたまたまメールのやり取りをしていて、リンダウに行くと話したら「ディジョンにも来い」と呼んでくれた。そこで、リンダウ会議前にディジョンに立ち寄り、(交通費と滞在費を出してもらう代わり(?) に)1時間の研究発表をすることになった。
滞在中はずっと中身が詰まっていて、実況中継ができず事後報告の形になってしまったが、その時の様子を少し…まずは、
フランス編 から。
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6月26日 ■■■
シカゴからパリへ初めての
大西洋横断!! といっても、ボクは飛行機はいつも通路側に座るので、何も景色は見えなかった。目に入ってきたものといえば、近くの席の
超アメリカンサイズのレディ が
機内食を2つ 食べていたことくらいか。この人が隣じゃなくて助かったわ…それでなくとも、ユナイテッドは、最近乗った中では一番乗り心地が悪かった (> <)
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6月27日 ■■■
パリのシャルルドゴール空港に到着。パリではなぜか入国審査がなく、
スタンプなしで素通り だった(笑)あまりのテキトーさに逆に不安になった。アメリカも見習ってほしい (^_^;)
空港からバスに乗って、ディジョン方面の電車(TGV: 仏版新幹線)の発着駅 Gare de Lyon に移動。パリは4年半ぶりだったが、不思議と記憶が蘇ってくるもので、切符売り場とか昔泊まったホテルの場所とかまで思い出した。パリはやっぱり綺麗な街並みだな、と思った(よくよく見ると結構汚いんだけど…)。前はなかったと思うのだが、レンタサイクルが至る所に整備されていた(右上写真、奥に見えるのが Gare de Lyon)。今回はパリを観て回る時間はなかったけど、次の機会にはチャリンコでパリを周ってみよう!
TGV で2時間、ディジョンに到着。駅のホームまで、
ベノワ が迎えに来てくれていた。ベノワは、ボクらが学生のときにお互いフランスと日本を行き来して一緒に研究した研究仲間、かつ最高の友人である。今は彼も博士号を取得し、ベンチャービジネスの CEO として奮闘している。およそ3年ぶりの再会であったが、一瞬で以前の空気感に戻った。
ホテルに荷物だけ置いて、早速ブルゴーニュ大学へ。ディジョンの街並み(左下写真:雨だけど、可愛らしい中心地)も基本的には変わっていなかったが、新しく
トラム(路面電車) ができていて、以前よりも格段に便利になっていた。大学で懐かしのメンバー達と久しぶりに顔を合わせて、とても嬉しくなった。その後、ベノワと教授と3人で夕飯へ。シャレオツなモダンレストランで、フォアグラ、魚料理などを白ワインと共に。アメリカのレストランと違い、「ハズレメニューだったらどうしよう…」とビクビクせず安心して食べられた (^ ^;)
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6月28日 ■■■
朝、大学へ行き1時間の研究発表を行った。真面目に発表したつもりだったが、ベノワに撮ってもらった写真を見たら、(無意識のうちに)発表中に流行りの
「今でしょ!」ポーズをしてふざけていたことが判明した。ま、何とか無事に終了!
ランチは、教授2人とベノワと4人でブルゴーニュ伝統料理を出すレストランへ。教授が「発表終わったからいいでしょ」と言って
昼間っからワイン を注文、フランス流の接待をしてくれた。実はボクは偏頭痛持ちで、経験的にワインを飲むとその発症率が高くなるのがわかっていたので、頭痛薬をカバンに忍ばせ警戒しながら飲んだが(← ブルゴーニュワイン好きの皆様に怒られると思う…)、幸い頭痛も発症せずに美味しくワインとご馳走をいただいた。
(左)食前に、
本物の キール(カシスをブルゴーニュ白ワインで割ったもの)。
(中)これもブルゴーニュ名物、エスカルゴ。パイ生地の中に、たくさんいました(笑)
(右)メインディシュのチキン。ソースはもちろん、
ディジョンマスタード 。
午後は、
ほろ酔いのまま 大学に戻って、ディスカッションと研究施設見学。色々な人とお互いの研究について情報交換でき、終わる頃には疲れ果てるほど有意義だった。特に研究所の大ボス(名誉教授)は、
一時間以上 ディスカッションとアカデミックキャリアの話をしてくれた。以前、学生としてディジョンに滞在していた時とは明らかに接し方が異なり、駆け出しとはいえ一研究者としてボクと話をしてくれたのが嬉しかった。
この日の夜はベノワが
自宅に招待 してくれた。ベノワはボクと同い年くらいだが、賃貸ではなく家を購入済み
(ブルゴーニュワインの保管庫付き)というやり手である。フランスでは、家を買うと10年後には確実に高く売り抜けられるという、日本では考えられない状況が続いているらしい。ベノワと、ドイツの大学院に通う
ベノワ嫁 と3人で夕飯を食べた。オーブンで焼いたステーキ肉(生クリームとチーズのソース)は絶品だった。ボクのお気に入りの “カンタールチーズ” を食べられたのも満足だった。
ベノワがボクをホテルまで送ってくれる道すがら、二人で夜中のバーに入り再び飲む。色んな思い出話、そして将来の事、話は尽きず何時にホテルに戻ったか忘れてしまった。
--- 『仏の独り歩き -2-』へ続く ---
- やかんで湯を沸かす
(13.7.16)
少し(だいぶ?)前に、アメリカで騒ぎになった
やかん。
このやかんを売りだした JC Penny (アメリカの安めのデパート) のカタログがポストに入っていた。
なぜ騒ぎになったか?…それは、このやかんの写真が
ヒトラー を連想させるから、だそうだ。そう言われてみれば、たしかに…
しかし、これで真剣にイチャモンを付けたという人がいるというのは、よく理解できん…。この騒動でこのやかんは
バカ売れ品薄状態 だというから、JC Penny としては
“棚ぼた” か、いやそれとも
“してやったり” か。
- やっぱ日本食やで!
(13.7.15)
芸能人のブログじゃあるまいし、こんな写真を載せて誰が喜ぶんだ? という気はしないでもないが…先週末の夕飯は、我ながらメチャうまかった。
(左)先月帰国した日本人の知り合いの方にいただいた食材を使ってお好み焼き。なかなか手に入らないので、ソース・カツオ節の味は非常に懐かしかった。
(右)ポトフとおでんの間の子みたいなヤツ。アメリカのスペアリブ肉と、醤油ベースの出汁はいける!
毎日、自炊している自分が信じられん。。。
- 蛍の光
(13.7.14)
ヨーロッパから帰ってきて、ある変化に気付いた。エバンストンで、たくさんの
ホタル (←
画像)が飛び始めたのだ!
でも、エバンストンに綺麗な川があるわけでもないし、その辺の草むらにこんなにもホタルがいるのはなぜ??
不思議に思って調べてみると、実はホタルは世界に何千種類もいて、必ずしも綺麗な水辺でしか生息できないわけではない。いや、むしろ日本の
ゲンジボタル のような種の方が珍しいようだ。こんなに見られるのは嬉しいが、何とも有り難みは薄れる (^ ^;) 日本にこんなにホタルが居たら、
♪ほ、ほ、ホータル来い♪
なんて歌もなかっただろうし(そこらじゅうに居るがな、とツッコミが入る)、田中邦衛が
「ほ、ほ、ホタルー」
と叫ぶこともなかったかもしれない。
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Last modified 13.12.22